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プライマル・スクリーム『ギヴ・アウト・バット・ドント・ギヴ・アップ・オリジナル・メンフィス・レコーディングス』interview
“失われたメンフィス録音のオリジナル音源”『ギヴ・アウト・バット・ドント・ギヴ・アップ・オリジナル・メンフィス・レコーディングス』について、ボビー・ギレスピーにインタヴュー!
ライヴでのハイライトとなる「ロックス」、「ジェイルバード」を収録し、『スクリーマデリカ』での成功をさらに押し拡げたプライマル・スクリームの4thアルバム『ギヴ・アウト・バット・ドント・ギヴ・アップ』。当初、メンフィスで伝説的プロデューサーのトム・ダウドを迎えてレコーディングされましたが、その音源はお蔵入りとなり、長い間行方がわからなくなっていました。しかし、メンバーのアンドリュー・イネスの自宅地下室で偶然発見され、“失われたメンフィス録音のオリジナル音源”として『ギヴ・アウト・バット・ドント・ギヴ・アップ・オリジナル・メンフィス・レコーディングス』がリリースされました。ヴォーカルのボビー・ギレスピーがこの作品への素直な思いを吐露したインタヴューを完全版としてお届けします。
──ダンディーで9月に行われた3Dフェスティヴァルでのステージを現地で観ました。あの日の「ロックス」と「ジェイルバード」は『オリジナル・メンフィス・レコーディングズ』でのアレンジで、新鮮かつグルーヴ感が増したように思いました。隣にいた3人の10代のキッズも曲に合わせて、身体を大きく揺らしていました。長年演奏してきたこの2曲を新たなアレンジで演奏してみていかがでしたか?
えっ、観に来てくれたの!? うれしいね。そうだ、そのアレンジだったね。若い子たちと一緒に楽しんでくれたんだ。良かった。「ジェイルバード」と「ロックス」はいつプレイしても楽しい曲なんだ。愉快でハイエナジーなロックンロール・ソングだからね。ファンキーだし……いつも楽しいよ。
──そもそもこの『オリジナル・メンフィス・レコーディングズ』、そしてその前兆となった『スクリーマデリカ』に収録された「ムーヴィン・オン・アップ」のようなサザン・ロックに惹かれたきっかけは何で、どのあたりのタイミングだったんでしょうか?
うーん、サザン・ロックというよりサザン・ソウルかな。サザン・ブラック・ミュージック。ジェイムス・カーとか、スタックスみたいなレコード・レーベルの曲、そういうのが大きな影響元だったんだ。ぼくたちは『スクリーマデリカ』を出した後で曲を書いていたんだけど、その大半がバラードで、とてもスローなやつだった。ソウルフルで、ダークで、ダメージが入っているような感じの。『スクリーマデリカ』はアゲ系のアシッド・ハウスで、恍惚とした超越的なものだったけど、その反動か、スローでダークな曲ばかり書いていたんだ。そんなものなのかも知れないよね。その時のフィーリングを反映していたのかも知れないし。
──その時にはもうアシッド・ハウスには飽きてしまっていて、何か新しいことをやりたいと思ったのでしょうか?
まあ、ぼくたちはいつでも何かしら新しいものをやろうとしてはいるけどね。アーティストとしては常に新しいものをやっていかないと(笑)。いちどやったことを繰り返したくはないからね。その頃の僕たちはサザン・ソウルをよく聴いていたんだ。ディープなやつをね。アレサ・フランクリン、O.V.ライト、ダスティ・スプリングフィールドの『ダスティ・イン・メンフィス』まで聴いていた。エルヴィス・プレスリーの『エルヴィス・イン・メンフィス』も。そういったものを聴いていたんだ。
──サザン・ソウルにのめり込むようになったのはいつ頃からなんですか?
20代かな。確か20代に入ってから、本格的に聴き始めたんだと思う。というのも、僕が少年の頃、ラジオから聞こえてきたのはパンク・ミュージックだったんだ。T・レックスとかデヴィッド・ボウイとかもね。でもフィラデルフィア・ソウルもよくかかっていたんだ。ビリー・ポールの「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」、オージェイズの「裏切り者のテーマ」とかね。アートのある音楽だよ。アン・ピーブルスの「アイ・キャント・スタンド・ザ・レイン」……そういうソウルやポップもかかっていた。デルフォニックスやザ・スピナーズも……ザ・スピナーズはデトロイト出身だけどね。まぁ、そういうタイプの曲はいつも身の周りにあったよ。グラム・ロックやパンクと同じ頃にね。だからロックンロールとソウルは昔から好きだったんだ。
──『メンフィス・レコーディングス』のときにその手の音楽にフォーカスしようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
ロジャー・ホーキンスやデヴィッド・フッド……マッスル・ショールズのリズム・セクションと一緒にやるのが理に適っている気がしたんだ。彼らはバラードやスローな曲の演奏にものすごく長けているからね。それに、トム・ダウドはアレサ・フランクリンやダスティ・スプリングフィールド、ジョン・コルトレーンだけじゃなく、エリック・クラプトンも手がけたことがあったから、ギター・ロックもできるってことがわかっていたんだ。
──『スクリーマデリカ』の「ムーヴィン・オン・アップ」に話を戻したいと思います。今にしてみればこの曲が『ギヴ・アウト・バット・ドント・ギヴ・アップ』の伏線だった気がするんですが……
いや、違う。「ムーヴィン・オン・アップ」はもっとゴスペル色が強いだろう? あの曲はブラック・ミュージックの影響が強いから、ゴスペルっぽい感じになったんだ。確かにブラック・ミュージック繋がりではあると思うけど、もっと喜びに満ちた感じだろう? ぼくたちはもっと悲しげで、陰鬱で、心が壊れた感じのものを求めていたんだ。
──ただ、あの曲はジミー・ミラーが手がけていますよね。「ロックス」のリミックスもジミーです。彼が引き続きアルバムのプロデュースをしなかったのはどうしてですか?
実はジミーとは1992年の11月に、ロンドンのラウンドハウス・スタジオで1週間くらい一緒にやってみたんだ。でも全然うまくいかなくてね。その時点でプライマル・スクリームには手持ちが2曲しかなくて、人としてもひどい状態にあった。だから全然うまくいかなかったんだ。ぼくたちの方にアルバムを録音する準備が整っていなかった。それでジミーとはうまくいかなかったんだ。残念な話だけどね、ぼくたちはジミーが大好きだったから。
──なるほど、そういう経緯があったんですね。では、トム・ダウドが手がけた『オリジナル・メンフィス・レコーディングズ』のテープが(ギターのアンドリュー・)イネスの地下室から発見されて、聴いたときの印象はいかがでしたか?
印象は……とにかくうれしかったね。聴き始めてすぐにものすごくハッピーになれたよ。ものすごくハッピーにね。
──そのテープが存在することはそれまで誰も知らなかったんですよね?
そう、誰も知らなかったんだ(笑)。だからテープが見つかったときは本当にびっくりしたよ。
──アンドリューはそもそも地下室で何をやっていたんでしょう。掃除とか?
たぶん、単に物置の片付けをしていただけだったんじゃないかな。その時テープの入っていた箱を偶然見つけたんだ。アーデント・スタジオのテープだった。試しにかけてみたら、トム・ダウドと作ったオリジナル録音のテープだったから、ものすごく喜んでいたよ。
──ただ、レコーディング直後当時は複雑な思いがあったんですよね?
そう、複雑だったね。自分たちの作ったものに確信が持てなかったから。どうして持てなかったのかは……わからない。ぼくたちの誰にもわからないんだ。でも、手を加えようということになって、録音やリミックスをやり直した。そんな感じだったね。
──あなたたちが当時理想としていたのはヒップホップやハウスを通過した新しい時代のサザン・ソウルだったのではないかと想像します。その本質的なグルーヴに触れて、そのグルーヴをバンドに取り込むためにメンフィスを訪れ、トムと作業をすることだったのではないでしょうか?
ノー。ノー、ノー、ノー。ぼくたちがメンフィスに行ったのは、トムやマッスル・ショールズのメンバーとロック・アルバムを作りたかったからなんだ。新しい時代の何かを作りたいという気持ちはなかったよ。単にロックンロール・アルバムを作ろうとしていたんだ。
──しかし、『オリジナル・メンフィス・レコーディングズ』の音源はあまりにトムの色が濃く出てしまったために、そのままの発表を見送ったのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
うーん……思うに、その当時聴いたときは、クリーンすぎるような気がしたんじゃないかな。
──「クリーン」ですか。
うん。たぶん、もっとラフな感じな出来上がりを想像していたんじゃないかと思うんだ。もっとハチャメチャな感じのもの。もしかしたらバッキング・ヴォーカルやトランペットが気に入らなかったのかもしれないし、大人びすぎていたような気がしたのかもしれないな。良すぎるというか。当時にしては良すぎたんだと思う(笑)。
──94年当時、この音源を出すべきときではなかったというのは理解できます。というのも、『オリジナル・メンフィス・レコーディングズ』は青写真であり、やはり『ギヴ・アウト~』こそが94年当時の完成形だと今でも思っています。なぜなら、94年当時に『オリジナル・メンフィス・レコーディングズ』をリリースしていたら、あなたたちは単なる懐古主義者になってしまっていたのではないかと考えるからです。
うーん……ぼくには何とも言えないなぁ。…本当にわからないんだ。ただ、クリーンすぎる気がした、それはおぼえているね。自分たちには大人すぎたんだ。もっと低俗な感じにしたかったんだと思う。「低俗(trashy)」というのは語弊がある気もするけどね。でも詳しいことは本当に思い出せないんだ。あまりに昔のことだからね。でも、ぼくたちはこの音に疑念があった、それは確かだ。自信が持てなかったんだ。「フリー」にサックスのソロが入っていてビビったのかも知れないな。
──でも、94年盤と今回の、両方に誇りを持っているんですよね?
そう、もちろん!
──一方で、この2018年に『オリジナル・メンフィス・レコーディングズ』を聴いて、とても新鮮ですばらしい内容に感じられるのは熟成にも似た、時間の経過があると思いました。
そうだね、うん、そうだね。ぼくもそう思うよ。もしかしたら、94年盤は当時に合っていた音楽だったのかもしれないね。それを今聴くと90年代感が強いというか。『オリジナル・メンフィス・レコーディングズ』はタイムレスな響きがあるし、リアルなアルバムという気がぼくにはするんだ。6人の男たち……6人のミュージシャンがひとつの部屋に集まってプレイしているっていう感覚がある。全体的な雰囲気がそんな感じ。94年盤はリミックスも施されているし、もうちょっと支離滅裂な気がするんだ。
──ダウドとの作業で、彼がいちばんこだわったことはなんでしょうか? また逆にあなたたちがいちばんこだわったこととは?
トムは本当にファンタスティックなプロデューサーだったよ。ものすごく精確なメモをつけていたんだ。それから……そう、ファンタスティックだった。ミュージシャンひとりひとりとちゃんと向き合ってくれる人だったね。ぼくの声についても、ものすごく励ましてくれた。アレンジも最高だったし、テイクの一つひとつにもきちんと対処してくれる。とにかくすばらしいプロデューサーだった。人間としてもね。尊敬すべき男だった。
──でも、さきほどお話ししてくださったように、その後複雑な思いが生まれて、いわゆるオーバーホールを施したのですよね。
そう……あれはぼくたちの不安感からそうなったんだと思う。このアルバム自体何ら悪いところはなかった。ただ、ぼくたちが不安だっただけなんだ。
──『オリジナル・メンフィス・レコーディングズ』をお蔵入りするとダウドに伝えた後、彼と話をしましたか?
いや。アラン・マッギーがトムに伝えたんだ。
──また、お蔵入りさせてしまったことに対して、あなたはダウドにどのような思いを抱いていましたか?
確か……悲しかったような気がするな。自分を見失ったような気がした。見失ったような……。
──ところで94年盤に収められている「ファンキー・ジャム」やタイトル曲のようなジョージ・クリントンを迎えたファンク・ナンバーは『オリジナル・メンフィス・レコーディングズ』には収録されていませんね。
そうだね。もともとアルバムには収録されるべきじゃなかった曲だったんだ。シングルのB面にするつもりだったからね。それから、アルバムはトム・ダウドとレコーディングしたけど、何が起こったかというと、曲のリミックスを始めたときに、誰かがジョージ・クリントンの起用を勧めてくれたんだ。ぼくたちはジョージ・クリントンとパーラメント、ファンカデリックの大ファンだからね。ジョージがリミックスをやってくれてものすごくクールになったからアルバムに入ったけど、『メンフィス』の方を聴いてもらえれば分かると思うけど、あのアルバムはバラード的なものが中心だったんだよね。「ファンキー・ジャム」がそこにはまったとは思えない。パーティ向けというか。パーティ向けのB面用の曲だったんだ。曲というよりB面のインストゥルメンタルだった。曲らしい体をなしていなかったんだ。
──この2曲はメンフィスで録音したんでしょうか。
うん。ディスク2に、「ファンキー・ジャム」のオリジナル・ヴァージョンが入っているよ。その音が、ジョージがリミックスする前の音なんだ。
──つまり急遽追加で録音したわけではなかったんですね。
そう。メンフィスで録音したけど、リミックスはジョージがデトロイトで行ったんだ。あ、シカゴだったかな。何か月も後にね。その時、ジョージは「ロックス」と「ジェイルバード」のリミックスもしてくれたんだ。それから「ギヴ・アウト・バット・ドント・ギヴ・アップ」は、あれはただの6分間のジャムだったんだ。ぼくたちにあったのは“give out but don’t give up”というフレーズひとつだけだった。それをジョージ・クリントンがちゃんとしたヴァースにしてくれて、そこから曲として完成させてくれたんだ。それをみんなものすごく気に入ったから、94年盤に入れたんだ。でもあれもまたヴァイブが違ったんだよね。
──今、この時点でどちらの音源が正統だと思えますか?
うーん、両方じゃないかな。間違いなくどっちも正統だと思うね。ただ、今度の音源が一番ピュアだと思う。うん、ピュアだね。メンフィスで録音した感じがちゃんと出ている。
──『オリジナル・メンフィス・レコーディングズ』の制作時に理想とした作品がありましたか?
そうだね……ぼくはボズ・スキャッグスのセカンド・アルバムが大好きだったんだ。69年にリリースされた、マッスル・ショールズとレコーディングした作品。ロジャー(・ホーキンス)とデヴィッド(・フッド)が参加していてね。あのアルバムが好きなんだ。
──アルバム制作中に聴いていたのでしょうか?
いや。メンフィスに行く前に聴いていたんだ。
──ところで当時、メンフィスで録音を行なうことはバンド全員のコンセンサスは取れていたのでしょうか? アラン・マッギーは確か懸念があったのですよね。
そう、アランは確信が持てていなかった。メンバーはコンセンサスが取れていたし、みんなメンフィスで楽しんでいたけどね。スタッフはもっとコンテンポラリーなものを考えていたんだと思う……そしてぼくたちも、最終的にはもっとエッジの効いたものが良かったんだろうね。
──このレコーディング後にメンフィスを訪れはしましたか。
いや、まったく訪れることがなかったんだ。でも、今年になってやっと行ったよ。1月にね。アルバムのマスタリングをしに行ったんだ。いい気分だったよ。すてきな気持ちになれたね。
インタヴュー・文/油納将志(British Culture in Japan) 通訳/安江幸子
Photo : ©Camera Press & Neil Cooper、©Stuart Luck、©Steve Roberts
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http://www.sonymusic.co.jp/artist/PrimalScream/
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