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ヒースロー空港が80周年──テント張りのターミナルから第3滑走路計画までを振り返る
ヒースロー空港(Heathrow Airport)が2026年3月25日(水)、開港80周年を迎えました。1946年にランカスター爆撃機が飛び立ったテント村のターミナルから、2025年に8,450万人が利用する欧州最大ハブ空港へ──80年間に英国の歴史的瞬間を見届けてきた名場面を一挙に振り返ります。
1946年──テントがターミナルだった開港の日

1945年、ロンドン空港(後のヒースロー空港)にて、東西に伸びる滑走路の建設工事が始まる様子。

1946年1月1日、ロンドン空港(のちにヒースロー空港と改称)から飛び立った初の航空機「スターライト号」。

1946年、ヒースロー空港の草創期。ターミナルビルの代わりに駐車した車やテントが使われていた。
1946年1月1日には改造されたランカスター爆撃機「スターライト」が証明飛行として離陸。そして3月25日、同機によるブエノスアイレス行きの商業フライトをもって「ロンドン・エアポート」は正式に開港しました。第二次世界大戦の終戦からまだ1年足らずの時代、旅客ターミナルは元軍用の大型テントを並べた「テント村」で、内部には花柄のアームチェアやソファ、生花を飾った小テーブルが配置されていました。

1946年、ロンドン空港(後のヒースロー空港)にて。かつて軍用だった茶色の天幕が、到着・出発ラウンジとして利用されていた当時の様子。
しかし快適さは気候に左右されました。暖房設備がない冬は極寒で、夏は壁ごとテントを取り外して風を通す有様です。旅客は泥だらけの滑走路エプロンを横断して機体に乗り込むため、足元を守る木製のダックボードが敷かれていました。開港初年度の旅客数はわずか6万3,000人。それが今日では1日だけで約20万人が行き交う空港に成長したことを思えば、このテント村こそが現在の壮大なハブの出発点だったといえます。

ニュージーランドのエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイが、ロンドンのヒースロー空港で英国海外航空(BOAC)の旅客機から降り立ち、盛大な出迎えを受ける様子。エベレスト登頂の成功を祝し、ジョン・ハント大佐が旗を振っている。

1946年5月31日、ヒースローに初着陸したダグラスDC-4。ニューヨークから約3,400マイル(約5,470km)の大西洋横断フライトを終えたアメリカの航空会社2機のうちの1機。
1946年5月31日、ニューヨークから3,400マイル(約5,470キロ)の飛行を終えた2機のアメリカの航空機が初めて着陸。この旅客機を運航したのは、パンアメリカン航空とアメリカン・オーバーシーズ航空で、パンアメリカン航空の機内には、テニスの国際対抗戦「ワイトマンカップ」に出場するアメリカ代表チームのメンバー6名が搭乗していました。
1952年──25歳の女王陛下が喪服でタラップを下りた日

新女王陛下の帰国、1952年2月7日。エディンバラ公フィリップ殿下と共に英連邦歴訪の旅へ出発したエリザベス王女殿下が、エリザベス2世女王として英国へ帰国。ロンドン空港で新女王を出迎えるために待機する(右から左へ)ウィンストン・チャーチル首相、クレメント・アトリー野党党首、アンソニー・イーデン外務大臣、ウールトン卿(枢密院議長)。
1952年2月6日、ケニアへの英連邦公式訪問中のエリザベス王女殿下は、宿泊先のツリーハウス・ホテルでジョージ6世国王陛下の訃報を受け取りました。知らせを伝えたのはエディンバラ公フィリップ殿下で、王女殿下はその瞬間に英国史上200年以上ぶりとなる「外地で即位した君主」となりました。残りの訪問日程はすべて取り消され、翌2月7日にヒースローへ帰国します。
専用機のタラップを全身黒衣で下りる25歳の新女王陛下の姿は、世界中のメディアに配信されました。タラップの下にはウィンストン・チャーチル首相をはじめとする政府高官や要人が整列して出迎え、その後エリザベス2世女王陛下はクラレンス・ハウスへと向かいました。ヒースローが単なる空港ではなく、英国史のステージであることを初めて世界に示した瞬間でした。
1964年──ザ・ビートルズの出発と凱旋が生んだ「ブリティッシュ・インヴェイジョン」

1964年、アメリカツアーのためヒースロー空港で飛行機に乗り込むリンゴ・スター、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、ポール・マッカートニー。
1964年2月7日(金)、ロンドン・エアポートのターミナルには数千人のファンが押し寄せていました。リンゴ・スター、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、ポール・マッカートニーの4人がアメリカへ向け搭乗するためです。当時ザ・ビートルズは米国での全米1位のシングルがまだ1曲しかなく、「本当に受け入れられるのか」という空気もありました。しかし数日後に出演したエド・サリヴァン・ショーの視聴者数は推計7,300万人──当時の米国人口の約40%──に達し、英国ポップ史上最大の「輸出」が成立しました。

1964年2月22日、イギリス。10日間にわたるアメリカツアーを成功させ、ロンドンのヒースロー空港に到着したザ・ビートルズ。
同年4月には、ビルボードのシングルチャートで上位5位を同時独占するという前代未聞の記録を打ち立てます。そして2月22日の帰国時にも再びヒースローには熱狂的なファンが集結し、彼らの凱旋は音楽ファンだけでなく国全体が祝うニュースとなりました。この一連の出来事は「ブリティッシュ・インヴェイジョン」と呼ばれ、英国音楽が世界を席巻するきっかけとなりました。1964年以前、英国のポップアクトが米国でほぼ成功できなかった事実を考えると、ヒースローを飛び立ったこのフライトの意義は計り知れません。
1970年・1976年──ジャンボジェットとコンコルド、空の革命が着陸した

イギリスへ飛来した初のボーイング747ジャンボジェットが、ニューヨークから無事に到着。
1970年1月、361人乗りのボーイング747がヒースローに初めて着陸しました。「空の女王」と称されたこの機体は世界初のツイン・アイル機で、巡航速度は時速約625マイル(約1,005km)。ロンドンへの飛行時間を30分短縮し、航空大衆化時代の幕を開けました。コックピットから離れるキャプテンとクルーの姿をとらえた当時の写真には「パン・アメリカン航空」のロゴが鮮明で、時代の空気が伝わってきます。

1976年1月21日、初飛行のテストから7年を経て、超音速旅客機コンコルドによる初の商業運航が開始

コンコルドの航空券代を貯めるために3年間節約を続けた乗客のボブ・インガム氏。彼が崇拝してやまないこの航空機にふさわしい装いとして、自らデザインした衣装でヒースロー空港に現れた様子
その6年後、1976年1月21日午前11時40分、コンコルドの初商業フライトがヒースローからバーレーン行きとして離陸しました。試験飛行初飛行から実に7年後のことです。同日パリからもリオ・デジャネイロ行きが飛び立つという歴史的な同時運航でした。この初便に搭乗した乗客のひとり、ボブ・インガムは3年間貯金してチケットを手に入れたコンコルドの熱烈なファンで、「サンライズ」のヘッドドレスに銀色のフェイスペイント、白と紫のローブという衣装で搭乗し、各メディアの名物人物として広く報道されました。その後コンコルドは2003年にターミナル1からラストフライトを終えるまで、超音速時代の象徴であり続けました。
1986年──ダイアナ妃殿下がチャールズ皇太子殿下のはさみをそっと支えた日

1986年、ヒースロー空港ターミナル4の開港式に出席したチャールズ皇太子殿下とダイアナ妃殿下。
1986年4月1日、チャールズ皇太子殿下(現・チャールズ3世国王陛下)とダイアナ妃殿下がターミナル4のオープニングセレモニーに出席しました。ところが皇太子殿下は直前の庭仕事中の事故で右手人差し指を骨折しており、腕を吊った状態でのテープカットとなりました。ひとりではうまくはさみが扱えない状況に、妃殿下がさりげなく手を伸ばしてはさみを支え、ふたりで一緒にテープを切りました。
この何気ないひと幕は、英国メディアが温かみをもって大きく報じました。王室の公式行事にありがちな堅苦しさとは対照的な「人間的な瞬間」として国民の記憶に刻まれ、ヒースローのエピソードの中でも特に愛されるシーンのひとつとなっています。
1998年・2002年──首相の開業テープと、ジョン・トラボルタのコックピット

トニー・ブレア首相とクレア・ピック氏
1998年6月23日、トニー・ブレア首相がヒースロー・エクスプレス(Heathrow Express)の開業式典に出席し、運転士のクレア・ピック氏と言葉を交わしながら、ヒースローとロンドン・パディントン駅を15分で結ぶ高速鉄道が開業しました。総事業費4億5,000万ポンドを全額民間資金で賄った英国鉄道史上初のプロジェクトで、完成後は空港アクセスの新たなスタンダードとなりました。

ジョン・トラボルタが自身で操縦してヒースロー空港に着陸させた飛行機のコックピットから旗を振る様子。
2002年8月19日には、俳優のジョン・トラボルタがコックピットの窓からユニオン・ジャックを掲げる写真が撮影されました。自称「飛行機オタク」の彼はこのとき、9.11テロ後に落ち込んだ航空旅行への信頼を回復する目的でカンタス航空と組み、同航空のヴィンテージ・ボーイング707を操縦してオークランドからロサンゼルスまで30,000マイル超、10か国を巡るキャンペーンを実施しました。カンタスのゴールデン・ウィングスを授与された瞬間を「人生で最も誇りに思った瞬間のひとつ」と語り、2度のアカデミー賞ノミネートと同列に並べるほど飛行機への情熱を持つ彼の来港は、当時の英メディアを大いに沸かせました。
2003年──コンコルドの最後の着陸、ラグビーW杯の凱旋、そして映画のロケ地

超音速時代の象徴であり続けたコンコルド。
2003年10月23日、コンコルドはヒースローの北滑走路に最後の着陸を行い、27年間にわたる超音速商業飛行の歴史に幕を下ろしました。初便に搭乗したボブ・インガムが3年間貯金してチケットを手に入れた1976年の出発から、実に27年の歳月が流れていました。
シドニー空港にて、帰国の途に就くため「スウィート・チャリオット号」と名付けられた飛行機に搭乗する直前、ワールドカップのトロフィーを手に記念撮影に応じるイングランド代表チーム。

シドニーから到着したイングランド・ラグビー代表チームを乗せたバスを、ヒースロー空港でファンが取り囲む様子。
2003年11月25日午前4時35分、イングランドのラグビー代表チームがシドニーから帰国しました。ジョニー・ウィルキンソンの延長戦ドロップゴールで勝ち取ったワールドカップのトロフィーは、機内の専用シートに座って帰ってきました。夜明け前の早朝にもかかわらずターミナル4の外にはファンが集まり、「スウィング・ロウ、スウィート・チャリオット」の大合唱が響きました。1966年のサッカーW杯以来の英国スポーツ最大の快挙と評されたこの帰還は、ヒースローをまたしても国民的感動の舞台にしました。

2003年頃、ヒースロー空港で撮影された映画『ラブ・アクチュアリー』の一コマ。
同じ2003年、今やクリスマスの定番映画となった『ラブ・アクチュアリー』のロケもヒースローで行われています。ターミナル3でオリヴィア・オルソン演じるジョアンナとトーマス・ブロディ=サングスター演じるサムが別れを惜しむシーンはファンに愛される名場面です。さらに映画の冒頭では実際の旅客が到着ロビーで再会するドキュメンタリー映像が使われ、ラストシーンではヒュー・グラントとマルティン・マカッチョンら主要キャラクターが再び同じ場所に集います。ヒースローという空間が持つ「別れと再会」のドラマ性が、この映画の感動を増幅させていると言えるでしょう。
2008年〜2016年──世界最高のターミナルとオリンピック英雄たちの帰還

第5ターミナルの開港式に臨まれるエリザベス2世女王陛下

マドンナが、息子の父親であるガイ・リッチーがこの1週間スティングのマリブの邸宅に滞在していたことが明らかになったことを受け、息子の様子を確認するためにロンドンのヒースロー空港のターミナル5に到着
2008年3月14日、エリザベス2世女王陛下はフィリップ王配殿下とともにターミナル5の開幕式に出席し、800人のゲストを前に「21世紀の英国への玄関口」と宣言、「業務開始の準備は万端です」と述べました。式典では特別に編成された30人の合唱団が奉祝演奏を披露し、同月28日から旅客への供用が始まりました。その後、旅客の投票によって世界最高の空港ターミナルに選ばれ続け、その評判はいまも健在です。

ブリティッシュ・エアウェイズが世界最大の商用ジェット機である新型の2階建て旅客機、エアバスA380を受領し、ヒースロー空港のスタッフが同機を出迎える様子。
2013年にはブリティッシュ・エアウェイズがエアバスA380を英国初の航空会社として導入し、ヒースローをダブルデッカー機の本拠地にしました。500人乗りのこの総2階建て機は世界最大の旅客機で、同社は欧州初としてA380とボーイング787ドリームライナーの両機を同時運用する体制を築きました。
さらに2014年6月にはターミナル2が刷新オープン。スター・アライアンス系航空会社を一か所に集約した「クイーンズ・ターミナル」は年間2,000万人の処理能力を持ち、持続可能性と効率性を重視して設計されています。

イギリス代表のトム・デイリー選手が、リオデジャネイロ五輪を終えてヒースロー空港第5ターミナルに帰国し、写真撮影に応じる様子。

2016年9月20日、イギリスのパラリンピック代表チームがリオデジャネイロからヒースロー空港に帰国。家族に出迎えられるカディーナ・コックス選手。
2016年にはリオ五輪から帰国したチームGBがターミナル5に到着。ロンドン2012年大会での65個を上回る67個のメダルを持ち帰ったチームをヒースローが再び出迎え、トム・デイリーら選手たちが撮影に応じました。
コロナ禍の停止を超え、第3滑走路計画へ──ヒースローの現在地

2020年5月1日、ヒースロー空港にて防護具を身に着けた乗客の姿。
2020年3月17日、新型コロナウイルス感染症を理由とした不要不急の渡航禁止措置が発令され、6日後の3月23日には英国が全国ロックダウンに入りました。欧州最多の旅客数を誇るハブ空港は必要最低限の便のみを維持せざるを得なくなり、かつてない静寂がターミナルを包みました。しかし2022年初頭に制限が大幅緩和されると需要は急回復し、2024年にはコロナ禍前の旅客水準を取り戻し、2025年には過去最高の8,450万人を記録しています。

第3滑走路建設計画の予想図。
そして2026年、ヒースローは次の80年へ向けた最大のプロジェクトに踏み出しました。2025年に英国政府から支持を取り付け、計画の概要が正式確定した第3滑走路建設計画について、今年から具体的な計画申請作業が始まっています。全額民間資金によるこの拡張計画は、就航便数と航空会社数を増やすことで旅行者の選択肢を広げ、運賃の競争力向上にもつながる見通しです。独立調査機関フロンティアの分析では、第3滑走路の完成により旅客への総便益が最大790億ポンドに達する可能性が示されています。テント村から第3滑走路へ──80年の歩みはそのままヒースローと英国の成長の物語でもあります。
Text by British Culture in Japan編集部
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