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アートで時代を切り取る。『Gilbert and George: 21st Century Pictures』
ロンドン在住のフリーランスライター、近藤麻美さんが、英国カルチャーを現地から紹介する連載「近藤麻美のカルチュラル・ウォーク in London」の第10回を公開! 今回は、ロンドンのサウスバンク・センターにあるヘイワード・ギャラリーで開催中の『Gilbert and George: 21st Century Pictures』をご紹介します。
こんにちは。ロンドン在住の近藤麻美です。
ロンドンはここ数日、どんよりとした天気が続いています。そして今週末(10月26日)には夏時間が終了。日本との時差は9時間となり、長ーい冬の幕開けとなります。
さて、現在、サウスバンク・センターのヘイワード・ギャラリーで開催中の『Gilbert and George: 21st Century Pictures』へ行ってきました。

ギルバート&ジョージは、イタリア出身のギルバート・プロッシュ(1943年生)と、イギリス出身のジョージ・パサモア(1942年生)によるアーティストデュオで、ロンドンを拠点に活動しています。彼らは自らのことを「ふたりの人間でありながら、ひとりのアーティストである」とし、さらには、「生きた彫刻」としてアートを体現しています。芸術で挑発する意図はないと主張するものの、その題材は常に刺激的な問いを含み、性、身体機能、人種、政治、宗教といったテーマを、一切の迷いなく真正面から扱ってきました。
ギルバート&ジョージの過去25年間の作品を網羅した大規模なエキシビション『Gilbert and George: 21st Century Pictures』では、大型デジタル加工写真が「鮮烈で挑発的、そして極めて異様な」コレクションとして紹介されています。
THE BIG PICTURE
「私たちの芸術とは、死、希望、生、恐怖、セックス、金、人種、宗教、くだらないこと、裸、人間、世界? 」。ギルバート&ジョージ。
街の路上で見つけた言葉やイメージで装飾されたギルバート&ジョージの「21st Century Pictures(21世紀の絵画)」は、鮮やかな色彩に溢れたシュールな自画像が特徴的だ。これらの作品は、多くの人が避けたがる存在論的なテーマを大胆に描いており、自由と支配の曖昧な境界から、宗教や文化的アイデンティティをめぐる緊張まで、現代生活を形作る根源となる感情的・政治的な力へと私たちを突きつける。挑発的なまでに率直な作品は、私たちがあまりにも無視しがちなものについて深く考えるよう促し、鑑賞者一人ひとりに、人生の大きな問いに対する自分自身の反応を再考させる。


『Ages』(2001年)。男性売春婦やエスコートの広告の引用。「27歳、ラテン系、ハンサム」、「黒人男性、24歳、マルコ。セクシーで性欲旺盛、お待ちしています」、「スキンヘッドのジョー、26歳。イーストエンド/リバプール通り10分。きめ細やかなサービスをご提供します」など。
PERSONAL IDENTITY AND SELF REPRESENTATION
人間の物語の証となる
個人のアイデンティティと自己表現
1960年代後半、ロンドンのセント・マーチンズ・アート・スクールで共に学生だった頃、ギルバート&ジョージはこう宣言した。「私たち自身が私たちの芸術である」。アーティストと芸術作品の境界を曖昧にし、彼らは自らを「生きた彫刻」と表現した。それ以来、ギルバート&ジョージはほぼすべての作品に登場している。彼らは「従来のモダンスーツ」と呼ぶものを身にまとい、人生と絵画を旅している。しかし、彼らの作品は従来の自画像とは異なる。彼らの変化する表情や身振りは、様々な感情状態を伝えている。怪物のように、幽霊のように、ロボットのように、茫然としたように、ミュータントのように、滑稽に、神話的にも見える。彼らは作品に自らを投影することで、私たちのアイデンティティが周囲の世界によってどのように形作られるのかを考えるよう促している。


ギルバート&ジョージによる壮大な四部作、『セックス、マネー、人種、宗教」は、1984年の作品「死、希望、生、恐怖」の続編。私たちは現代社会においてこの4つの言葉がどれほど意味を持ち、分断をもたらすのかをじっくりと考えさせられる。

「マネー」は、彼らが絵画制作を始め、かつては一時的なものだった作品を保存しつつ、収益化も図った1970年代後半から1980年代へと私たちを誘う。

1980年代には人種問題が、1990年代には宗教問題(↓)が彼らの心を悩ませた。

RELIGION
信仰体系
「悪や罪、辺獄、地獄や煉獄…それらは私たちを永遠に恐怖に陥れるためだけに作り出されている。大罪?罪と共に生きる?とんでもない話だ。行儀よくするために宗教的である必要はない、と私たちは信じている」。
ギルバート&ジョージ
儀式的な身振り、無神論的なスローガン、宗教的なイメージ、象徴的なモチーフを織り交ぜたギルバート&ジョージの作品の多くは、多文化・多宗教社会における信仰体系を探求している。二人はあらゆる宗教を拒絶しながらも、宗教的信仰体系が私たちの生活に与える影響に強い関心を抱いている。SONOFAGOD PICTURESでは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、そして民間伝承の図像が衝突し、神聖なシンボルと俗世のシンボルが、誰が聖なる存在で、誰が価値ある存在で、誰がスケープゴートにされるのかを定義する権力体系を皮肉を込めて見つめる、豪華で不条理、そして道徳的に複雑な構図の中に重なり合っている。
2014年のシリーズ『Utopian Pictures』は、象徴的なロイヤルメールの郵便ポストや赤い電話ボックスなど、イギリスの生活を象徴した作品です。

2014年のシリーズ『Utopian Pictures』は、象徴的なロイヤルメールの郵便ポストや赤い電話ボックスなど、イギリスの生活を象徴した作品。『死後の世界が証明された』。


「私たちの祖父母はファシストに投票したんじゃない… 彼らが撃ったんだ!」

制作のプロセスは、まず写真を撮影し、スキャンしてデジタル化することから始まるという。そこに街角のゴミや落書き、人々の日常の断片を組み込み、俗と聖、現実と神話を自在に往還する構成が作り上げられる。コンピューター上で設計されたイメージは巨大なグリッドに分割され、正方形ごとに印刷・組み上げられて完成する。

LONDON LIFE AND THE CITYSCAPE
ロンドンの生活と都市景観
ギルバート&ジョージは1968年からイースト・ロンドンに住み、制作活動を行っている。彼らの作品は、街の標識、グラフィティ、広告、ゴミ、政治スローガン、建築物といった街の要素を記録し、再解釈し、それらの断片をダイナミックで精緻な構成へと昇華させている。ギルバート&ジョージはこう語る。「私たちがイースト・ロンドンに住んでいる場所には、あらゆるものがあると信じている」。彼らの作品は、多様で時に衝突する信念、貧困と富裕が隣り合わせであること、麻薬関連器具、チラシ、ステッカー、手書きのメモといった、見過ごされがちな街の漂流物など、あらゆるものを捉えている。路上で見つかる捨て物や、人々の絶え間ない営みを題材に、彼らは現代都市生活の緊迫感、葛藤、感情、恐怖、そして矛盾に満ちた絵画を制作している。ヴィクトリア朝の小説家チャールズ・ディケンズのように、彼らは都市の人間的な混沌と複雑さを余すところなく描写しています。



『殺人』(2011年)。イブニング・スタンダード紙のキャプションはすべて「Murder」という言葉が使われている。

こちらも、イブニング・スタンダード紙の見出しを模したもので、ある人物やあの人がゲイだと暴露された、あるいはゲイであることを否定された、という内容が書かれている。
MEDIA
メディア
ギルバート&ジョージは、芸術と世界を自ら解釈する自由を擁護する。彼らの作品は、しばしば、人々の認識を形作る力、特にニュースメディアと公共空間における情報の流通の仕方に焦点を当てている。『ロンドン・ピクチャーズ』(2011年)を制作するために、彼らは数千枚の新聞の見出しポスターを盗み出し、それらを頻繁に出現する単語に基づいて主題ごとに分類した。その結果生まれた作品は、センセーショナルなフレーズを次々と浴びせかけ、その意味を失わせるという、強烈な矛盾を提示している。しかし、立ち止まってそれらを読むと、それぞれの見出しの背後には、現実の人間的な状況が潜んでいることを思い起こさせる。見出しを集め、絵に自らを決定させるこの手法は、彼らの初期の作品「爆弾」(2006年)にも見られる。彼らは、2005年のロンドン交通局同時多発テロ事件を受けて、この巨大な三連画を制作した。この作品は、当時ロンドンの通勤者に人気だった新聞「イブニング・スタンダード」のポスターを素材にしている。まとめてみると、一見不自然な見出しは、集団的トラウマの記念碑となる。


『イエスは異性愛者だったのか』(2005年)。「イエスは自分を許せと言っている」とあるが、ギルバート&ジョージは反抗的に「神はセックスが好きだ」と付け加えている。



「我々の芸術が果たすべき役割:リベラルな人間の内なる偏狭さを引き出し、逆に偏狭な人間の内なるリベラルさを引き出すこと:ギルバート&ジョージ」



「ファンキー」(2020年)は、ギルバート&ジョージがスパークリング・ワインを飲み過ぎて倒れる様子を描いている。

MORTALITY
死
ギルバート&ジョージの作品は常に死を意識させてきた。1970年に発表された、生きた彫刻としての彼らの日々の活動リストには、「ゆっくりと死ぬこと」という項目があり、それは「調子よく口笛を吹く」か「神経質に笑う」かのどちらかである。死の必然性は、二人の生への情熱を研ぎ澄ませているようだ。「ほとんどの人は楽園はアフターパーティーだと思っているが、私たちは正反対だ」とジョージは言う。彼らの作品において死は、めったに厳粛に扱われることはない。むしろ、欲望、快楽、そして不条理と擦れ合うのだ。「ニュー・ホーニー・ピクチャーズ」(2001年)では、性サービスの広告が「果てしない名前の海…まるで戦争記念碑のようだ?」と化している。
「ザ・コープシング・ピクチャーズ」(2022年)では、アーティストたちは驚きと不安げな面白さを露わにしながら、骨の間に横たわっている。彼らは、避けられない死を、反抗的なまでにダークな皮肉で突きつけている。彼らの写真は、いつものように、移り変わる気分や雰囲気の中を、ユーモアと哀愁が曖昧に絡み合う世界を、私たちを導いてくれる。「私たちはいつも、ある被写体を何度も何度も撮り続けると言います。道徳的な側面を見つけるまで。そして、それが私たちに語りかけてくるのです」。

『REST』は『THE PARADISICAL PICTURES』から選ばれた作品群のひとつ。幻想的でサイケデリックな楽園のヴィジョンを描いているが、よく見ると花は色あせ、果実は干からび、ギルバート&ジョージはベンチに不格好に横たわり、疲労を滲ませている。

ギルバート&ジョージは、鮮烈で大胆、時に異様な色彩と幾何学的なグリッド構成によって、性、暴力、死、都市のゴミといった現代社会の暗部を鋭く照射してきました。彼らの作品は、中世のステンドグラスの荘厳さと、ストリートアートの生々しいエネルギーが融合した独自の世界観を生み出しています。本展では、さらにスケールを増した彼らの最新作が、ヘイワード・ギャラリーのブルータリスト建築の空間を圧倒的な存在感で満たします。狂気をはらんだ色彩の洪水と、精緻に構成されたパターンが、観る者を完全に作品世界へと引き込むのです。

彼らの信条である「すべての人のためのアート(Art for All)」は、単なる理念ではない。ギルバート&ジョージは、ありふれた日常を象徴へと変換し、芸術を特権から解き放ち、あらゆる人に開かれたものへと押し広げた。
80代となった今もなお、彼らの創作は衰えを知りません。このエキシビションは、ギルバート&ジョージという唯一無二の存在が、現代という混沌をどのように見つめ、どう表現し続けているのかを示す決定的な章なのです。
ギフトショップも鮮やか。

今回のエキシビションの特別フォトブック。

スローガン満載のTシャツやバッグ。


1972年のグループ展のポスター。ふたりとも若い!
ギャラリーを出ると、少し太陽が出ていました。

テムズ川かなり濁っていました。

左はロイヤル・フェスティバル・ホール。奥にロンドンアイが見えます。

帰りはテムズ川を歩いて渡りました。Hungerford Bridge and Golden Jubilee Bridges から見たシティ。
■近藤麻美
99年に渡英。英国のニュース、海外ドラマ、イギリス生活、食、教育、音楽、映画、演劇、歴史、ファッション、アートなど、英国にまつわる文化の多岐に渡る記事を執筆している。
linktr.ee/mamikondohartley
ご連絡は、mamikondohartley@gmail.comまで。
X:https://x.com/mami_hartley
Instagram:https://www.instagram.com/mamimoonismine
note:https://note.com/mamikondo_london
Link
https://www.southbankcentre.co.uk/whats-on/gilbert-george-21st-century-pictures/
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