映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』Special Interview Vol.1 川瀬佑介(国立西洋美術館)
「美術館に勤める者としては、盗難に気をつけないといけないなと思いながら映画を観ていました(笑)」

『ゴヤの名画と優しい泥棒』場面写真

2月25日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほかにて全国公開となる映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』。映画の鍵となるゴヤが描いた「ウェリントン公爵」と、その名画を展示しているナショナル・ギャラリーについて、国立西洋美術館の川瀬佑介さんにお話を伺いました。

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──川瀬さんは2020年に国立西洋美術館で開催された『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』の企画監修にあたられました。この展覧会は1824年に開館したナショナル・ギャラリーにとって史上初の海外における大規模な所蔵品展になりましたが、約200年間にわたって門外不出だったのには何か理由があるんでしょうか。

ナショナル・ギャラリーは基本的に作品の貸し出しにとても厳しい美術館なんです。海外への作品貸し出しによく応じているところもありますが、そうでない美術館の代表がナショナル・ギャラリーでした。ルーヴルやプラド、メトロポリタンのような大美術館に比べると、ナショナル・ギャラリーは規模が小さいんです。

ですので、所蔵品もそんなに多くない。著名な作品の多くが常設で展示されているので、館外に貸し出すことが難しかったんです。それなのになぜ、日本で実現したのか。というのも、ナショナル・ギャラリーが誇る作品の価値がわかる素地があり、美術館に足を運ぶ人も多いという点を認めてくれたからなんです。

ナショナル・ギャラリー

Photo by Hulki Okan Tabak

──川瀬さんから見て、ナショナル・ギャラリーというのはどんな美術館ですか。

美術史のスタンダードを築き上げた美術館で、西洋美術史上の重要な流派、国、ジャンル、画家、作品のすべてが高いクオリティーで、まんべんなく揃っている美術館がナショナル・ギャラリーなんです。世界を見渡しても、そうあるものではありません。ルーヴル美術館に行くと、17、18世紀のフランス絵画の部屋が延々と続く場所があります。とても贅沢なことですけれど、一方英国の絵画などはあまりなく、バランスが取れていない。プラド美術館にもベラスケスやゴヤの最高傑作があって、ティツィアーノやルーベンスもありますが、レンブラントは1点しかない。そういったアンバランスがあるんです。

でも、それは美術館それぞれの個性でもあり、どうしてそういったコレクションで構成されたのかという歴史的な背景によるものなんです。でも、ナショナル・ギャラリーは、そうした歴史的背景がありません。ルーヴルやプラドはその国の歴代の王によるコレクションの集積であり、彼らが暮らしていた宮殿に飾られていたものを啓蒙思想に触発されて、自分たちだけで鑑賞するのは良くないから、広く国民にも楽しんでもらおうとなり、住んでいる宮殿がそのまま美術館になったという歴史があります。つまり、先に見せるものがあって、美術館ができているわけですよね。

『ゴヤの名画と優しい泥棒』場面写真

──宮殿は収蔵品の保管庫という側面もあったんですね。

そうなんです。極論を言うと、居間がそのまま展示室になったということ。英国の王もコレクションを持っていましたが、ナショナル・ギャラリーは裕福な市民が国民の共有財産としてみんなに観てもらうべきだと持っていた美術品を持ち寄って開館された美術館なんです。ですので、ひとりの画家の作品が山ほど揃っているようなことが起き得なかった。そこで彼らが考えたナショナル・ギャラリーならではの特色を出すために何をしたかというと、これからティツィアーノを100点収集するのなんて無理だから、すべての時代の最良の作品を少しずつ集めるということでした。

プラドにはレンブラントがない、アムステルダム国立美術館にはスペイン絵画がない、ならば私たちはすべてを見せよう、そうすることで美術史全体を俯瞰することができる美術館になるはずだと考えたんです。このような観点を持った美術館は当時世界初であり、国立西洋美術館をはじめとしてナショナル・ギャラリー以降に設立された多くの美術館が同じような百科事典型とも言うべきスタイルになっています。

──まさに美術館のスタンダードとなったナショナル・ギャラリーですが、『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』でも展示されたゴヤの「ウェリントン公爵」が盗難に遭っていたことはご存じでしたか。

最初にこの作品を選んだ時は知りませんでした。主催した読売新聞の担当者から盗まれたことがあって、『007/ドクター・ノオ』にも出たらしいですよということを後で聞いて知ったんです。ナショナル・ギャラリーにとっては初めての盗難事件で、ちょうど大枚をはたいて購入した直後だったので、現実でも映画のような大騒ぎになったとそうです。映画ではどこまでがフィクションなのか、ノンフィクションなのかはわかりませんが、「ウェリントン公爵」をイーゼルにかけたままで展示していたのはダメですよね(笑)。

それから閉館後もトイレの窓を開けたままだったのも、基本的なセキュリティの考えが時代によって違うわけですけれども、盗まれる環境であったのはまちがいないわけです。美術館に勤める者としては、気をつけないといけないな、とも思いながら映画を観ていました(笑)。

──当時、14万ポンド、日本円にして1億円を超えるような金額でナショナル・ギャラリーはゴヤの「ウェリントン公爵」を購入しましたが、これは適正価格だったのでしょうか?

1億円だったら、かなりのお買い得だったと思いますよ。映画の中でバントンさんは税金の無駄使いだと怒っていましたが、むしろそんな値段で購入できたら褒めてあげないと(笑)。現在、ゴヤの同様の肖像画が出てきたら20億、30億円はくだらないはずですので。

『ゴヤの名画と優しい泥棒』場面写真

──この「ウェリントン公爵」ですが、川瀬さんはどのような作品だと評価していますか。

映画の中でバントン氏は「大した絵じゃないな」というようなことを言っていますが、その言わんとすることはわからなくもないんですよね。ウェリントン公爵はネルソン提督と並ぶ英国が輩出した大軍人で、国民の英雄。軍人の肖像画というのはこの人に付いていけば負けないという勇壮で自信に満ちているのですが、ゴヤはまるで真逆のような描き方をしています。同時代に描かれた、ナポレオンが馬上で指を天に示しているジャック=ルイ・ダヴィッドの「サン・ベルナール峠を越えるボナパルト」は躍動感があって、いかにも強そうですが、ゴヤの「ウェリントン公爵」は焦点が定まらない、ちょっとうつろな目をしていますし、寂しそうな佇まいが絵画の全体から伝わってくる。でも、それがこの作品のおもしろいところなんですよね。

「ウェリントン公爵」も勲章をたくさん胸に飾っているから軍人だとわかりますが、軍人の肖像画に求められる勇ましさがまったくない。スペインの宮廷画家だったゴヤは、イギリス人の公爵におべっかを使う必要がなかったのかもしれません。英国人の画家が描いたのならばこうはならなかったでしょう。ロマン主義の先駆者でもあったゴヤは人間の内面、精神世界に着目していたので、うわべの栄光ではなく、何年も戦地に身を置いて、重責の下に疲れ果てた公爵をひとりの人間として捉えて描いたのです。国王であろうが、自分の友人であろうが、対象の社会的身分に関係なく、人間の内面を見つめ、それを自分の画風で表現し通したのはすごいことですよね。

──背景も単色で重たい感じがしますし、孤独な心境が伝わってきます。

そうなんです。ですので、公爵はこの絵を気に入らなかったようで、英国に持ち帰りはするんですが、すぐに親戚にあげてしまいます。ゴヤの絵はその親戚の邸宅にずっと置かれていて忘れられた存在になっていたところ、売りに出てナショナル・ギャラリーが購入したんです。

『ゴヤの名画と優しい泥棒』場面写真

──映画を川瀬さんはどうご覧になりましたか。

会話の端々からこぼれ出るユーモアがとても英国らしいと感じましたね。「ウェリントン公爵」を人質にして身代金を要求するわけですが、自分の欲のためではなく、困っている人のために使おうとするところも英国人らしいな、と。あと、裁判のシーンでのやり取りもシニカルなんだけどクスッと笑えるところが多くて、これも実に英国らしい。イタリア人がするような派手な動作はまったくない控え目な映画ですが、一時もスクリーンから目を離すことがなく、ストーリーの世界にぐいぐいと引っ張られました。

アプスリー・ハウス

アプスリー・ハウス

──「大した絵じゃないな」と感じてしまう理由もわかりましたし、絵の背景がわかったことで映画での「ウェリントン公爵」の存在感が増した気がします。ナショナル・ギャラリー以外に、川瀬さんがロンドンでおすすめする美術館があれば教えてください。

この映画のコンテクストで言うと、ハイド・パーク・コーナーにあるアプスリー・ハウスはぜひ訪れてみてほしいですね。ここは公爵家のタウンハウスで、現在はスペインから持ち帰った絵画などを展示した美術館になっています。特に私が好きなのはベラスケスの「セビーリャの水売り」。この絵を観に行くだけでも価値があると言えますが、公爵が実際に暮らした雰囲気が保存されている邸宅の中で数々の名作を観るというすばらしい体験もできます。次回ロンドンを訪れた際にぜひ足を運んでみてください。
 

 

川瀬佑介(かわせ・ゆうすけ)
1977年、東京都生まれ。専門はスペイン・イタリア美術史。長崎県美術館学芸員を経て、2012年から国立西洋美術館に勤務。担当した展覧会に『カラヴァッジョ展』『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』など。共著書に『もっと知りたい ベラスケス』(東京美術)、『はじめての西洋絵画』(朝日新聞出版)など。

ゴヤの名画と優しい泥棒

『ゴヤの名画と優しい泥棒』ポスター

 

監督
ロジャー・ミッシェル
出演
ジム・ブロードベント、ヘレン・ミレン、フィオン・ホワイトヘッド、アンナ・マックスウェル・マーティン、マシュー・グードほか
作品情報
2020年 / イギリス映画 / 英語 / 原題 : THE DUKE
公開日
2月25日(金)よりTOHO シネマズ シャンテほか全国公開
配給
ハピネットファントム・スタジオ
後援
ブリティッシュ・カウンシル

©PATHE PRODUCTIONS LIMITED 2020

Link

https://happinet-phantom.com/goya-movie/

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