ロールス・ロイス ファントム誕生100周年!音楽界のアイコンたちが愛した英国最高峰の車

ロールス・ロイス、ファントムと音楽界とのゆるぎないつながりを祝福

2025年に誕生100周年を迎えるロールス・ロイス ファントムと音楽界との深い結びつきが注目されています。ジョン・レノンやエルヴィス・プレスリー、現代のヒップホップスターまで、8世代にわたり音楽史を彩る巨匠たちに愛され続けた英国最高峰のラグジュアリーカーの歴史を紹介します。



ファントム100年の歴史と音楽界との特別な関係

ロールス・ロイス、ファントム

2025年8月22日、ロールス・ロイスはファントムと音楽界とのゆるぎない結びつきを祝福する発表を行いました。ファントムは1925年の誕生以来、ジャズからロック、ラップ、R&Bまで、現代音楽のすべての時代を彩る存在として君臨してきました。

ロールス・ロイス・モーター・カーズの最高経営責任者クリス・ブラウンリッジは、「ハリウッド黄金期からヒップホップの隆盛に至るまで、過去100年にわたり音楽界のアーティストたちは、ファントムを通じて自らのアイデンティティを表現し、既成概念に挑んできました」とコメントしています。

音楽業界の重鎮たちも愛用した英国車

 

ロールス・ロイス、ファントム

ファントムと音楽界の結びつきは、レコード産業の歩みと同様に長い歴史を持ちます。デューク・エリントン、フレッド・アステア、カウント・ベイシー、ラヴィ・シャンカール、エディット・ピアフ、サム・クックといった伝説的アーティストたちが、成功と芸術性の究極の象徴としてロールス・ロイスを認識していました。

また、ブライアン・エプスタイン、ベリー・ゴーディ、アーメット・アーティガンといった音楽業界の重鎮たちも、ロールス・ロイスの名だたるオーナーとして名を連ねています。


ハリウッド黄金期を彩った伝説のファントム

1930年代から1960年代にかけて、ハリウッド黄金期を代表するスターたちがファントムを愛車として選択しました。映画界のアイコンたちは、スクリーンでの華やかさをプライベートでも演出するため、最高級のラグジュアリーカーを求めました。

マレーネ・ディートリヒの緑のファントムI

1930年、映画『嘆きの天使』でブレイクしたマレーネ・ディートリヒは、映画『モロッコ』の撮影のためカリフォルニアへ渡りました。パラマウント・スタジオは彼女を歓迎するため、花束だけでなくグリーンのロールス・ロイス・ファントムIを贈呈しました。

このファントムは映画のラストシーンや宣伝写真にも登場し、ディートリヒのスクリーンでの存在感と共にスポットライトを浴びました。アカデミー賞ノミネートという栄誉と共に、ファントムもまた映画史に名を刻んだのです。

エルヴィス・プレスリーのミッドナイト・ブルー

 

ロールス・ロイス、ファントム

1963年、「キング・オブ・ロックンロール」エルヴィス・プレスリーは、数々のビスポーク仕様を施したミッドナイト・ブルーのファントムVを購入しました。この車には車内カラオケの初期形ともいえるマイクや、後部座席アームレスト内のメモ帳、さらには完璧な姿で現れるための鏡や衣類ブラシまで備えられていました。

興味深いエピソードとして、エルヴィスの母親が飼っていた鶏たちが、ファントムの鏡面仕上げの塗装に映った自らの姿をついばんだため、後に傷が目立ちにくい淡いシルバーブルーに塗り替えられたという逸話があります。


ザ・ビートルズとサイケデリック・ファントムの伝説

ファントムV

1960年代のロックミュージック革命において、ザ・ビートルズは音楽だけでなくファッションやライフスタイルでも時代をリードしました。ジョン・レノンのファントムは、単なる移動手段を超えて文化的メッセージを発信するツールとなりました。

ジョン・レノンの革命的な黄色いファントム

 

ファントムV

1964年12月、ジョン・レノンはザ・ビートルズの『ハード・デイズ・ナイト』の成功を祝してファントムVをオーダーしました。当初はウインドウ、バンパー、ハブキャップに至るまですべてブラックで仕上げられ、カクテル・キャビネットやテレビ、トランク内の冷蔵庫まで備え付けられていました。

しかし1967年5月、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のリリース直前に大胆な変貌を遂げます。車体はスプレーでイエローに塗り替えられ、レッド、オレンジ、グリーン、ブルーの渦巻き模様が手描きされました。さらに花柄のサイドパネルと、レノンの星座である天秤座のシンボルが追加され、“サマー・オブ・ラヴ”の象徴的存在となりました。

社会現象となったサイケデリック・カー

 

ファントムV

この革命的なファントムは若者たちにとって自由奔放なムードを映し出す存在でしたが、年長者には大きな衝撃として受け止められました。ロンドンのピカデリーを走る際、ある女性が「ロールス・ロイスにこんなことをするなんて!」と叫び、傘で車の塗装を叩いたという有名な逸話が残されています。

1985年のオークションでは、この伝説のファントムが229万9,000ドルで落札され、予備価格の約10倍という記録的な価格を達成しました。これは当時、ロックンロールの記念品として最も高価なものであり、オークションで売却された自動車としても最高価格を記録しました。

レノンのもう1台の白いファントム

1968年、レノンは『ホワイト・アルバム』の発表とヨーコ・オノとの新たな人生の幕開けに合わせて、ホワイトのロールス・ロイス・ファントムVを購入しました。この車は当時のレノンのミニマリスト美学を映し出す存在で、1万2,000ポンドを投じて内外装をホワイトに刷新し、サンルーフやフィリップス社製ターンテーブル、8トラック・プレーヤー、電話、テレビを備え付けました。


ショーマンシップの極致:リベラーチェとエルトン・ジョン

エンターテイメント業界において、ファントムは単なる交通手段を超えてパフォーマンスの一部となりました。華やかなステージと同様に、愛車にも独自の個性を吹き込むアーティストたちが現れます。

ミラーボール・ファントムの衝撃

 

WP7WT6 Liberace's gaudy automobiles displayed at the Liberace Museum, Las Vegas, Nevada

“ミスター・ショーマンシップ”の異名を持つリベラーチェは、1950〜60年代に世界で最も高い報酬を誇るエンターテイナーとなりました。彼の豪奢な演出のひとつが、1961年式ファントムVです。この車は小さな鏡片で覆われており、ラスベガス・ヒルトンでの長期公演ではステージ上に登場し、観客を魅了しました。

このファントムVは、マイケル・ダグラス主演の伝記映画『恋するリベラーチェ』にも登場し、リベラーチェの華やかなライフスタイルを象徴する重要な要素として描かれています。

サー・エルトン・ジョンの衝動買いエピソード

リベラーチェに影響を受けたサー・エルトン・ジョンも、複数台のファントムを所有していました。1973年、ホワイトのファントムⅣでマンチェスター公演へ向かう途中、ショールームのウインドウに展示されていた最新モデルに目を奪われ、その場で購入手続きを済ませて新たなファントムに乗り換えて会場へ向かったという伝説的なエピソードがあります。

後にこのファントムは、ブラックのペイントにブラック・レザーの内装、スモークガラスのウインドウに一新され、テレビ、ビデオ・プレーヤー、ファクス機まで装備されました。特に注目すべきは非常に強力なビスポークのオーディオ・システムで、音量を上げても割れないようリア・ウインドウを補強する必要があったほどでした。

キース・ムーン:『無法の世界(WON’T GET FOOLED AGAIN)』?

 

ロールス・ロイス、ファントムと音楽界とのゆるぎないつながりを祝福

ロックンロール史に残る最も有名な逸話のひとつは、ザ・フー(The Who)のドラマー、キース・ムーンの21歳の誕生日の出来事です。天賦の才を持ちながらも破滅的な人生を送った彼は、ミシガン州フリントのホリデイ・インで、自らのロールス・ロイスをプールに沈めてしまったといわれています。

その夜、実際に何が起きたのかについては諸説あります。1972年の『ローリング・ストーン』誌でムーンは、「プールに沈んだのは他の宿泊客のリンカーン・コンチネンタルで、自分がハンドブレーキを外して転がり込ませた」と語りました。一方で、「そもそも車がプールに沈んだ事実などなかった」と主張する出席者もいます。真相がどうであれ、この伝説はあまりに強烈で、ロックンロール的享楽の究極の象徴として語り継がれることになりました。そしてその象徴にふさわしい車は、やはりロールス・ロイス以外にはあり得ないのです。

ロールス・ロイス、ファントムと音楽界とのゆるぎないつながりを祝福

ファントム誕生100周年と、ロックンロール神話におけるその存在感を讃えて、ロールス・ロイスはこの伝説を現実のものとしました。リサイクルを予定していた退役プロトタイプのファントム・エクステンデッドのボディシェルを、実際にプールへ沈めることでこの伝説を蘇らせました。舞台となったのは、イングランド南西部プリマスにあるアールデコ様式の名所「ティンサイド・リド(Tinside Lido)」。イギリス海峡に面したこのプールは、ファントムの最も著名なオーナーのひとり、ジョン・レノンともゆかりがあります。1967年9月12日、ビートルズが映画『マジカル・ミステリー・ツアー(The Magical Mystery Tour)』の撮影で訪れた際にここで写真撮影が行われました。同年、レノンは黄色に塗装し手描きの装飾を施したファントムVを披露し、ファントムは音楽伝説の中でその地位を不動のものとしたのです。


現代ヒップホップ界でのファントム人気

ロールス・ロイス、ファントムと音楽界とのゆるぎないつながりを祝福

2000年代以降、ヒップホップ文化の爆発的な普及と共に、ファントムは新世代のアーティストたちに愛用されるようになりました。歌詞の中で最も多く言及されるブランドとなり、成功の象徴として確固たる地位を築いています。

2000年代以降の音楽界との新たな結びつき

2003年にグッドウッドに移転して以来、ロールス・ロイスは現代音楽との結びつきを一層強めてきました。2016年までに、ヒップホップの目覚ましい隆盛にも後押しされ、歌詞の中で最も多く名を挙げられるブランドとなっていました。

2004年、ファレル・ウィリアムスとスヌープ・ドッグが『ドロップ・イット・ライク・イッツ・ホット』のミュージック・ビデオにファントムⅦを登場させ、この曲は全米ビルボード・ホット100で3週連続1位を獲得しました。これがファントムとヒップホップ界のトップ・アーティストたちとの長きにわたる結びつきの始まりとなりました。

スターライト・ヘッドライナーの文化的影響

ヒップホップはロールス・ロイスを象徴する装備「スターライト・ヘッドライナー」の人気を高める上でも大きな役割を果たしました。「stars in the roof(天井の星々)」というフレーズやその派生はラップの歌詞に繰り返し現れ、ロールス・ロイスのオーナーシップを語る詩的な符号として広く浸透しています。

50セントはテレビ・ドラマ『アントラージュ★オレたちのハリウッド』にファントムⅦ ドロップヘッド・クーペで登場し、そのシーンは広く拡散されるミームとなりました。また、リル・ウェインのアルバム『カーター Ⅱ』をはじめ、多くのアルバム・ジャケットにもファントムが登場しています。


英国ラグジュアリーの象徴として次の100年へ

ロールス・ロイス、ファントムと音楽界とのゆるぎないつながりを祝福

ファントムは100年間にわたり、進化を重ねながら常に現代音楽の歴史に存在感を示してきました。どの時代においても、アーティストや革新者たちに自己表現の手段、憧れ、そしてアイデンティティを提供し続けています。

2025年に記念すべき100周年を迎えるこの特別なラグジュアリーカーは、8世代にわたり音楽史に名を残す創造力と影響力に富む人物たちに選ばれ続けてきました。卓越したエンジニアリング、最高級の素材、精緻を極めたクラフツマンシップを結集した世界最高峰のラグジュアリー・プロダクトとして、オーナーが自らのアイデンティティを自由に定義できる特質が、多くの音楽界の巨匠たちのファントムを伝説的存在へと押し上げてきました。

ファントムは第二の世紀へと歩みを進める今もなお、成功、個性、そして人間の想像力を象徴し続け、英国文化の重要な一部として世界中の音楽愛好家に愛され続けています。

 

Link

https://www.rolls-roycemotorcars.com/ja_JP/home.html

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