SUGIZO(LUNA SEA / X JAPAN) Special Interview 後編

昨年末にU2、モリッシー、XTC、ザ・ラーズ、トラヴィスらを手がけてきた英国を代表するプロデューサー、スティーヴ・リリーホワイトを迎えて制作された10枚目のアルバム『CROSS』を発表したLUNA SEA。そのギタリスト&ヴァイオリニストであるSUGIZOさんはロンドン、英国に対する深い思い入れがあることでも知られています。初めての訪英、お気に入りの場所、音楽シーンとの関わり、そして最新作『CROSS』についてまで、SUGIZOさんがじっくりと語ってくれました。そのスペシャル・インタヴューの後編をお届けします。

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──X JAPANやJUNO REACTOR、そして難民支援で世界各国を訪れていますが、各国で触れる民族音楽をはじめとする文化に今は影響を受けられているのではないでしょうか?

 

そうですね、各地のプリミティヴでトライバルな音楽にはとても刺激を受けています。アフリカの部族音楽や中東の伝統音楽とか。民族や国のルーツを感じる音楽に今は影響を受けることが多い。例えば去年登場した新しいサウンドとかにはあまり関心を払わなくなってきています。なぜなら、その手の内がわかってしまうから。でも、25年前の自分にはドラムンベースの手の内がわからなかった。どうやったら、こんなサウンドやビートが生まれるんだって興奮していたわけです。でも、今はそうではないですね。だから、自分の理解やキャパシティを超えたものに惹かれていくんでしょうね。同じようにどうやって生まれたのか、どう作るのか、どういう発想をしているのかということにワクワクする。

 

──環境問題や社会問題に対して徐々に意識を高めていかれましたが、LUNA SEAの作品やソロ作とはダイレクトにオーバーラップしませんでした。強いて挙げるならば98年発表のアルバム『SHINE』に収められた「NO PAIN」くらいです。当時は個人の考えや意識を音楽に反映させることについてはどのように考えていたのでしょうか?

 

当時は社会問題に対する自分の活動はミュージシャンとしてではなく、あくまでも一個人としての気持ちによるものだったので、自分の仕事として携わるという意識があまりなかったからだと思います。そもそも音楽にどう結びつけていいものなのかもわからなかった。ところが、だんだん個人的な活動が自分にとってより重要な位置を占めるようになっていくと、知らず知らずのうちに音楽と融合されていくんですよね。ですので、意図して次は反戦の曲を書こう、次は環境の問題を訴える曲を書こうというようには思わなかったんです。今もそうですが自然と自分の中からテーマが生まれてきて音楽と融合していく。気が付いたら、自分がやっていること、ミュージシャンとしての自分の立場、一社会人としての気持ちがひとつになっていて、それが良いか悪いかはわかりませんが周りの方々からピックアップしてもらったことで世に伝わるようになって、今となっては自分が良いと思える意思であればどんどん発信していこうというようになりました。そういう意味で言うと、次の世代に対してのオピニオンリーダーにはなるべきだとどこかで決心したんですね。次の世代に対して自分は何ができるかと大きく思った時に自分がすごく変わったと言えます。

 

London 1997

 

──それはいつ頃の決心だったかは覚えていらっしゃいますか?

 

少なくとも40歳になってから以降だと思いますね。ご承知だと思いますが、僕はよく被災地にボランティアとして行きます。最初は一個人として行っていたので、仕事仲間やファンの方にアピールするかのように発表するつもりはなかったんです。ただ、ニュースとして取り上げられるようになって、別にこそこそと隠れてやるようなものではないし、悪いことをしているわけでもないので、それからはボランティアに行くきっかけをもたらす宣伝塔のような役割も果たそうとしました。当時、mixiで一般の方やファンのみなさんに、いついつに僕は行くから行ける人は一緒に行きましょうと呼びかけたんです。その呼びかけで50人ぐらいが集まって、一緒にボランティアに行きました。参加したファンの方が被災地に定住してボランティアを続けたこともあったりして、なかなか良い橋渡しができているぞと自分で感じたことで、個人としてやっている活動と自分がミュージシャンとして表に出ているところを融合していけばいいんじゃないだろうかと考えに結びつき、その行ないが次の世代、そのまた次の世代の良い導きになればと思っています。

 

──一般の方でも被災地を訪れてボランティアに従事するということはなかなかできないことだと思います。忙しいミュージシャンはなおさらですが、何度となく被災地でボランティアを行なっているSUGIZOさんを突き動かすものとは何なのでしょうか?

うーん……それはわからないですね。自分にとっては自然な行動なので。みんなよくボランティアとか難民支援とか普通にできないですよねと言われますが、逆に僕は普通できるでしょ?と思うんです。例えばあなたみたいなギターはなかなか弾けませんと言われたら、それはそうです、何十年もずっと鍛錬してきたわけですからと答えます。トップアスリートのようになかなか走れないのも同じ。スポーツや音楽は鍛え抜かれて結果を出して、ようやく初めて人前に出ることができます。でも、ボランティアは初めての人でもスコップは使えますし、荷物の仕分けもできる。厳しい言い方になってしまいますが「できない」という人の多くは要は「やりたくない」ということだと思うんです。ボランティアにはあらゆる仕事があります。ぐしゃぐしゃになった家を片付けるのも、避難されている方に食事を配ることも、力を落とされている方の話し相手になることもボランティアができることなんです。話をすることで気持ちが支えられるという方もたくさんいらっしゃいます。僕が熊本の被災地に行った際に支援物資を収めた倉庫で1日中お菓子等の仕分けをしたこともある。誰でもできることです。だから普通なかなかできない、というのは間違った言い方ですよね、といつも口にしています。

 

──私も石巻市にボランティアに行ったんですが、東日本大震災でボランティアへの関心が高まり、実際に現地で動かれる方も増えたと実感しています。SUGIZOさんも同じような変化を感じていましたか?

 

感じました。そういう意味では2011年3月11日を機に日本人の意識が大きく変わったと思っています。社会に対して一人ひとりの役目がある。誰も微力ではあるけど無力ではない。誰もが誰かのサポートができる。誰でも誰かに手を差し伸べることができる。その気付きがターニングポイントになって、その後の被災地でのボランティア活動に結びついていったと思います。

 

London 1997

 

──イラクやヨルダン、シリアでの難民キャンプでも日本国内の被災地と同じような気持ちで活動されているのでしょうか?

 

それまったく同じですね。僕にとっては中東もアメリカもアフリカも、もちろんイギリスも。国や人種が変わろうともやることは変わらない。そうした別け隔てのない感覚を養ってくれたのがロンドンでした。当時、僕のレコーディングのエンジニアはパキスタン人で、ベーシストのミック・カーンはキプロス出身、トランペッターはアフリカ系英国人、さらに僕のコーディネーターで家族だったような人はドイツ人、滞在していたフラットのオーナーは中国人だった。ひとつのプロジェクトにあらゆる国の人が関わってくれているのはごくごく普通のことだったんです。英語がネイティヴでない人も英語という共通言語をハブにしてコミュニケーションを取り合って創造していく。本当に素敵なことだと思います。

 

──若い頃にあらゆる国の人が暮らすロンドンを訪れたことがSUGIZOさんの人生に大きな影響を与えたことが本当によくわかりました。

 

まさにロンドンが今の僕を作ったと言っていいと思います。訪れていなければ、全然違った人間になっていたでしょうね。一方で、これだけ海外に行くと自分の国のことをより深く考えるようにもなります。日本の魅力や日本人であることの誇り、または日本人の長所短所も考えるようになり、今では海外に出た時に僕は堂々と日本人だと胸を張っていられます。

 

London 2017

 

──昨年12月にリリースされた10枚目のアルバム『CROSS』についてもお話を聞かせてください。今までずっとセルフ・プロデュースで制作してきましたが、今回はU2のプロデューサーとして名高いスティーヴ・リリーホワイトを初の外部プロデューサーとして迎えました。いつ頃からそのアイデアはあったのでしょうか?

 

発案が誰かは覚えていないんですが、LUNA SEAがREBOOTした10年前頃から外部のプロデューサーと制作してみたいねというムードがあったんです。LUNA SEAのみんなが共通して好きなバンドのひとつがU2で、数年前にINORANがスティーヴと知り合ったんです。それからスティーヴが参加してくれることになりそうだということになり、ほかのメンバーはいろんな気持ちがあったかもしれませんが、僕は絶対にやりたいと思いました。問答無用に僕らが影響を受けた多くのアーティストの作品を作った人であり、自分たちの音楽の師匠とも言うべき方でしたから。3年くらい前から少しずつ彼と話を進めていき、僕らがスティーヴのところに行って打ち合わせやコミュニケーションを図り、スティーヴも日本に来て僕らのライヴを見てくれて、ということを続けながら、18年の冬頃からレコーディングが始まったんです。

 

──では、17年発表の前作『LUV』の時は外部プロデューサーとやりたいという気持ちはあったけれど適任が見つからなかったということでしょうか?

 

実はスティーヴとプロデュースの話を始めたのは『LUV』の前なんです。でも、その時は間に合わないなっていうことで見送りました。ですので、『LUV』はLUNA SEAがセルフ・プロデュースで制作する最後の作品だという心構えで制作に臨んだんです。次はもうスティーヴとやることが決まっていたので、自分たちができることを心置きなくやってみようという気持ちで作品に向き合いました。

 

──それは興味深い話ですね。今回のアルバムを聴いた最初の印象はLUNA SEAのようだけれど違うバンドなのではないかと思うくらいに音の感触が違って、洋楽っぽいというチープな表現しかできなくて恐縮ですが、まさにそんな風に思えました。

 

いや、僕らもそう感じました(笑)。スティーヴのミックスを最初に聴いた印象がこれは日本の音じゃない、完全にイギリスの音だということ。僕らが影響を受けてきた音になっていました。同時に日本でレコーディングしても、こんな音になるんだとも驚いたんです。重要だったのはレコーディングが始まる前にじっくりとスティーヴとディスカッションできたこと。バンドを始めた頃の感覚を思い出せ、なぜこのバンドをやっているのか、それはこのバンドに恋したからだろうと僕らに問いかけて、バンドのアティテュードを初心に戻すところから始まりました。精神的に僕らのバンドを若返らしてくれたんです。そうしてレコーディングを終えた音源をスティーヴに送って彼が仕上げるというサイクルで進んでいきましたが、演奏や音作り、アレンジの感覚は僕らのままでした。それでもスティーヴがミックスをして送り返してきた音源は僕らが夢中になった英国の音になっていた。本当に素敵なコラボレーションになったと思います。

 

London 1997

 

──2000年くらいまでのLUNA SEAはメンバーの個性がぶつかり合うところが魅力でバンドの中から音楽が生まれてきているようでした。それがだんだんと曲を作った人の意向に寄り添うようなスタンスに変化していったように思えます。今回もまず曲があって、その曲をどうしようかと一歩引いたところから始まっているように感じ取れたのですが、それは外部プロデューサーを起用したことで自分たちを客観視できた部分があったのではないかと思うんですがいかがでしょうか?

 

僕は近年、この10年くらいは音楽の下僕なんですよね。下僕だから自分のために音楽をやっている感じがしていない。自分がこうなりたいとか、これをやりたいからという意識の下ではなくて、世の中や社会に良き影響を与える、ただの歯車でいたいという気持ちがあります。自分から生まれた音楽であれ、ほかの人間が書いた曲であれ、その音楽に自分ができる最大限の奉仕をしたいという意思があり、その楽曲が最も喜ぶやり方、その楽曲が最も光を放つやり方を探したいし、そこに自分のすべてを注ぎ込んでいるつもりです。

 

──最後に日本におけるイギリスの音楽ファンに向けて、『CROSS』の聴きどころがありましたら教えてください。

 

おこがましいようですけど、『CROSS』によって日本のロックのレベルがついにここまで来たと思っています。僕らが昔影響を受けて憧れてきたイギリスのサウンドやそのテクスチャーを模倣して、近づこうとして学び、その影響に自分たちのやり方を融合して独自のサウンドを編み出していきましたが、英国の一流のプロデューサーとのコラボレーションによって新しい次元に一歩踏み入れたような気持ちがしてなりません。僕らが70年代や80年代に羨んだイギリスのシーン、アメリカのシーン、ブラック・ミュージックなどと同レベルのカルチャーの深みやクオリティが日本の文化にも見出すことができ、今となっては同軸に存在できていると思う。そんなカルチャーの進化を感じ取ってもらえたら本望ですね。

 

 

前編はこちら

 

インタヴュー/小野寺彩乃

 

■Disc info

 

 

LUNA SEA
『CROSS』
UNIVERSAL J
Now on Sale

 

■Link

https://www.lunasea.jp/

 

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