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トラヴィス『10ソングス』インタヴュー 後編
2020年で結成30年を迎えたグラスゴーのバンド、トラヴィス。約4年ぶりとなる9thアルバム『10ソングス』について、ヴォーカルのフラン・ヒーリーにインタヴューを行いました。その後編ではフランのグラスゴーのお気に入り場所も教えてくれました。
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10月9日にリリースされた『10ソングス』に収められた10曲は1曲1曲を慈しむように作られた、豊かなメロディがあふれ出す傑作に。このコロナ禍で乾いた心をきっと潤してくれるはずです。
――うなぎの例え、おもしろいです(笑)。あとふたり、アルバムに参加している人たちについて聞いておかないと。バングルスのスザンナ・ホフスと、ブルース・スプリングスティーンやジャクソン・ブラウンとの仕事で知られるスティール・ギター奏者のグレッグ・リースなんですが、どんな交流があったのか教えてください。特にスザンヌはちょっと意外でした。彼女の作品のファンだったりするんですか?
あぁ、バングルスの大ファンだったし、今もそうだよ。スザンナのツイッターをぼくがフォローしていて、それで知り合うことになるんだけど、きっかけは彼女が投稿していた「胸いっぱいの愛」のビデオから撮った写真で、あの曲はぼくが特に好きな1曲でもあるのでメッセージを、フワァァァ(あくび : 笑)失礼……メッセージを残してみた。「やあ、スザンナ、ぼくはきみの声が大好きなんだ」みたいな感じで。とはいえ、ぼくのほかに800人ぐらいメッセージを残している人がいたんで……
――そこからあなたのメッセージを見つけるのは困難ですね(笑)
だよね? すごい数のメッセージが並んでた。だから自分でもそのまま忘れてたんだ。ぼくは自分が好きなひとの投稿にはどんどんメッセージする方だから、いつも書き込むけど誰も返事はくれない。ぼくも別に返事は期待してなくて、ただその人がぼくのコメントを読んでいい気持ちになってくれたらいいなっていう、それだけ……ぼくからサンキューって言いたい、それだけなんでね。でも、スザンナからは2週間ぐらいしてメッセージが届いたんだ。しかも彼女は、ぼくの曲に対して「サンキュー」って言ってくれた。だからもう、「オーマイゴッド! すごいな。スザンナ・ホフスだ!」って。でも、それはそれで終わって、さらに1年半後、あの曲が書けて、これはデュエットにする必要があると感じて、アルバムにデュエット曲が入っていたらいいだろうな、と思った時に、「オーマイゴッド、スザンナ・ホフスがいるじゃないか。彼女だったら最高だ!」と思い至るまでそう時間はかからなかった。そして彼女にメールを書いたんだ。そしたら「イエス」って。彼女もロサンゼルス在住でぼくもロサンゼルスに住んでいる。自分で運転して彼女の家に行き、素敵な午後を一緒に過ごした。シンガーであること、バンドの一員であること、色々と話もできて実に楽しかった。
そして最後に彼女の方から、「曲を聴かせてちょうだい。一緒にやりましょうよ。ここで録音できるから」って言ってくれて、歌ってくれたらこれが素晴らしい! 彼女のおかげであの曲はぼくが思っていたものを遥かに超えて素敵なものになった。もしアルバムのデラックス盤を聴くことができたら……レコード会社の希望で特別なのを作ることになった時、ぼくからに提案として片面に10曲と、もう1枚のCDなりヴァイナルなりはデモを10曲、バンドで録音する前のデモの状態でその10曲を収録することにしたんだけど、「ジ・オンリー・シング」のスザンナ抜きのぼくだけのヴァージョンはまるで違う曲のようで、あれを聴くと曲というものがいかに変化し得るものかがわかると思う。同じ曲なのに、ふたつの違う曲に聴こえるくらい、本当に全然違うから。彼女に今回のレコードに参加してもらえて嬉しかったよ。ものすごく光栄だった。
――実際に会って作業ができたのはよかったですね。今、なかなかそれがかなわないから……。
そうだよね。
――グレッグとも会えたんですか。
うん。グレッグにはメールで申し入れたんだ。「大ファンです。実はスザンナに参加してもらった曲があるんだけど、よかったらこっちに来て弾いてもらえませんか。お金はあんまりないんで、どれだけ払えるかわからないけど、ちゃんと払うから」って。そうしたらすぐに返事が来て「曲、すごく気に入った!」と。彼がこっちに来てくれた時、1時間ぐらいしか時間がないということで、13時から14時の間だったかな、でも自ら運転してペダルスティール・ギターとアンプを積んで車でやって来て、ぼくの家の居間にセッティングして、ぼくがマイクを立てて録音したんだけど、あの曲の最初から最後まで全部で彼は弾いてくれたので、ペダルスティールが全面的に入ったカントリー風のヴァージョンができてね。素晴らしかったんだけど、あまりにもカントリーっぽくなり過ぎると思ったからぼくの方で編集して、ミドル8のところからドロップインして、そこから曲の最後まで生かすようにしたら完璧になった。全編ではなく、その部分にだけ入っている感じがすごくいい。かなり存在感がある楽器だからね。
――素晴らしい!
あと、グランダディのジェイソンもアルバムに参加しているよ。
――煙探知機大集合、ですね。
ははは。
──ちょうど『ザ・マン・フー』から20周年を迎えたり、バンドのドキュメンタリー映画『Almost Fashionable』が発表されたり、というタイミングで、バンドの来し方を振り返り、思いを新たにすることはありましたか。
うん。ふたつあって、まずあのドキュメンタリーを作ったことでぼくは……いや、3つあるな、まずドキュメンタリーを作ったことで自分たちに対する新たな視点を得たこと。それは、当事者としてだけではなく批評家の視点に立つ、ということで、というのもあのドキュメンタリーでぼくらは、ぼくらを好きではない人を同行させたので……
――えぇ?(笑)
でもそれは「この人はぼくらの何が気に入らないんだろう」と思ったからで。だってぼくらはすごくいい連中で、音楽だって大ヒットはしていなくても良質の音楽をやっているし、一体何が問題なんだろう、と。それで、文句を言っている人を招いて理由を探ろうとしたところ、わかったんだよ、理由が。問題は光学にあった。
――光学?
そう、レンズが歪んでいたんだ。だって、それなりの距離に近づいてみたら彼は、ぼくらが思っていたようなバンドじゃないことに気づいたんだから。
――(笑)
本当だよ。彼がぼくらのバンドに対して抱いていた概念は、実際のぼくらとまったく違うものだった。それに気づいて彼は、ぼくらを見るレンズを調整し直さなければいけないと悟ったんだ。そしてこれは音楽ジャーナリズム全体に言えることだけど、彼も自分が失ってしまったものにファンとしての感覚があったことに気づいた。ファンであるというのは、どういうものか。これはジャーナリストに限らず、あらゆる人間に起こり得ることで、大人になって、請求書の支払いが気になるようになると、音楽もただ音楽ではなく生活がかかったものになっていく。あれはぼくらにもひとつの気づきだった。
ふたつ目は『ザ・マン・フー』の再現ツアーであの往年の曲を演奏したことで、あれは自分の中にいる昔の自分に入り込んで行って、かつての自分を垣間見るような体験だった。特に、父親になる以前の自分、だね。親になると子供に自分を捧げざるを得ず……いや、必ずしもそうしなければならないわけじゃないけれども、ぼくは息子のために父親がそばにいて助けが必要なときは必ず助けてやれるような親になろうと思ったから、『ザ・マン・フー』を振り返ることは、そのあたりの自分の純粋な変化を振り返ることでもあった。
そして3つ目。これはその息子から言われたことで、「父さん、思うんだけど、またバンドをやるべきだよ。バンドを思い切りやった方がいいと思う」と……。
――わぁぁ……
もう息子はぼくを必要としていないんだな、と思った。いや、必要としていないわけじゃないが、6才ぐらいの時とは違ってもう14才だからね。だから息子と、ドキュメンタリーと、『ザ・マン・フー』、その3つがあって今の自分の立ち位置を見つめ直したんだ。
――素敵な話ですね。
うん、ありがたいことだよ。それで何かを取り戻した感じ……本能的なものを取り戻したのかな。そしてまた煙探知機な自分に戻ったわけだ。
――(笑)。そろそろ30分が過ぎてしまうので、最後にグラスゴーに関する質問をさせてください。今あなたがどれくらいグラスゴーで過ごしているのかわかりませんが、あなたにとってどんな存在で、もしまた自由に旅行できるようになったら日本からの観光客はどこへ行ったらいいか、おすすめの場所があったら教えてください。
グラスゴーか……すぐ思い浮かぶのはチャールズ・レニー・マッキントッシュが設計したグラスゴー・スクール・オブ・アートなんだけど、焼失してしまったんだよね。数年前の、あれは大変な悲劇だった。あ、でもそのアートスクールからわりとすぐのところに素敵な場所があるよ。テネメントって確か呼ばれてて……ちょっと待って、正確な名前を調べるから(と検索し始める)……テネメント・ハウスだ。
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――1892年に建てられたアパートで、当時の暮らしを展示しているところですね。
そうなんだよ。100年前のグラスゴーの暮らしをタイムカプセルに詰めたような場所で、あそこは本当に素晴らしい。だから行ってみたらいいと思うのと、あとは……待ってね(笑)えぇと……Mary Queen of Scots……(検索中)……battle of Langside……うーん、正式名があるはずなんだけどな。メアリー・クイーン・オブ・スコッツはスコットランドの女王で実はフランス人……フランス人女性だったんだけど、ある時点で首を切り落とされてしまうんだけど、とても興味深いスコットランド君主だった。で、グラスゴーにある場所が……あー、名前を教えたいんだけどな、待って、急いで探すから……メアリーがああでこうで(検索して何かを読んでいる)……あ、あった、コート・ノウだ。
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――ノウ?
うん、コート・ノウ。Court Knowe。1568年にメアリー・クイーン・オブ・スコッツがまさにここに立ってラングサイドの戦いを見守った、という場所なんだけど、ラングサイドはぼくが育った土地で、そこにバトルフィールドって呼ばれる場所があるんだ。子供の頃はその名前に意味があるとは思っていなかったんだが、大昔に実際そこで大きな戦いがあったと知った時はオーマイゴッド! って感じだった。なので、そこもおすすめ。それと、ローモンド湖もぜひ、すすめておいて。ごめん、次の電話が入ってるから、そろそろ行かないと。
――どうもありがとうございました。また会える時まで!
こちらこそ、ありがとう。また日本でね!
インタヴュー・文/油納将志 通訳/染谷和美
■Disc info
トラヴィス
『10ソングス』
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