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SUGIZO(LUNA SEA / X JAPAN) Special Interview 前編
昨年末にU2、モリッシー、XTC、ザ・ラーズ、トラヴィスらを手がけてきた英国を代表するプロデューサー、スティーヴ・リリーホワイトを迎えて制作された10枚目のアルバム『CROSS』を発表したLUNA SEA。そのギタリスト&ヴァイオリニストであるSUGIZOさんはロンドン、英国に対する深い思い入れがあることでも知られています。初めての訪英、お気に入りの場所、音楽シーンとの関わり、そして最新作『CROSS』についてまで、SUGIZOさんがじっくりと語ってくれました。そのスペシャル・インタヴューの前編をお届けします。
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──1996年にLUNA SEAが活動を休止されて、翌年にSUGIZOさんはロンドンに長期滞在されましたが、バンドの人気が絶頂を迎えていたタイミングで活動を休止して、外国に拠点を移そうと思ったのはどうしてだったんでしょうか?
もう23年前になるんですね。その前に伏線がありまして、僕が初めて訪れた海外がロンドンだったんです。93年でした。バンドの撮影で訪れたんですが、その最初の海外の旅が人生におけるものすごく大きなターニングポイントになりました。日本以外の文化の中で息をして、街の人たちとコミュニケーションを取ったことも刺激や影響を受けましたし、その後ずっと通うことになる大好きなケンジントンチャーチ(St Mary Abbots Church)と出会ったことも大きいです。そこで時間を忘れてぼーっとしたり、鳩に「君は英語しか話せないの?」と話しかけたり(笑)、この空は日本ともつながっていて地球はひとつなんだと思ったり・・・すごくシンプルで当たり前なことなんですけど、それまでは僕らと同じように固有の文化や生活があるということに実感がなかったんですよね、当時まだ20代前半だったので。ロンドンを訪れて見たり、聞いたり、話したりして強烈に感覚的にわかったんです。今では世界中を旅する人生になっていますが、その礎がロンドンだったということはすごく重要で、その後ロンドンが完全に第二の故郷のような場所になっていきました。93年以降は年に何度も通うようになりましたね。ロンドン以外に次に訪れた海外は香港でした。なぜかというと当時はまだ英国の租借地だったからです。ブルース・リーが大好きだったというのもあるんですが(笑)。ですから英国の、もしくは英国につながる文化が自分にとって今も大きな位置を占めていますね。
London 1997
──音楽も同様なのではないでしょうか?
もちろんそうです。中学1年生でロックに目覚めて、ミュージシャンを志すようになったんですが、ずっと英国、特にロンドンの音楽シーンが自分のルーツであり、ロンドンのアーティスト、クラブ・カルチャー、ゲイ・カルチャーに絶えず影響を受けていました。自分が惹かれたフェティッシュな世界、パンクな世界、ゴスな世界、そのどれもがロンドンにありました。
──SUGIZOさんはジャパンやデヴィッド・ボウイからの影響を公言されていますが、初めてロンドンを訪れた際に、ロンドンだから彼らのような音楽が生まれるんだという意識は抱かれましたか?
実は全然感じなかったんです。僕が訪れた93~4年にキングス・ロードのパンク・シーンをはじめ、自分が憧れたアーティストやカルチャーにまつわる場所を回ったんですが、7~80年代の空気感とはやはり違っているんですよね。80年代末のセカンド・サマー・オブ・ラヴ以降、93年のUKロックはブリット・ポップという大きなムーヴメントを迎える直前でした。さらにビョークがソロ・デビューする時期であったり、僕に新しいサウンド・テクスチャーを教えてくれたマッシヴ・アタックやポーティスヘッドが台頭していくタイミングでもあり、クラブ・カルチャーではジ・オーブがいて、更にエイフェックス・ツインが台頭していく状況だった。僕が子どもの頃に影響を受けたロンドンの音楽やカルチャーから、90年代の音楽やカルチャーに本格的に移行するような過渡期だったんです。その新しい何かが始まるようなザワザワする、ドキドキする感覚がロンドンから伝わってきましたね。一方で、ゴスやパンクのシーンは絶えることなくアンダーグラウンドなシーンとして受け継がれていた。ケンジントンに滞在していた時、今はなくなってしまった若者のカルチャーの発信源でもあったケンジントン・マーケットに入り浸っていたんですが、そこではまだクラシックなゴスやパンクスが健在で、そのファッションや音楽にもやはりすごく刺激を受けましたね。そこのめちゃくちゃゴスの店員のお姉ちゃんと仲良くなって、この日時、この場所で秘密のパーティーがあるから遊びに来なよって誘われて行ったりね。あとはカムデン・マーケットもゴスやパンクの空気がまだ残っていた。僕がラッキーだったのは、ロンドンに通うことで日本にいながらにしてリアルタイムで聖地の本当にストリートから生まれるカルチャーを吸収できたことですね。
London 2017
──お話を伺うのはまだ始まったばかりですけれど、97年に長期滞在されたのは自然な成り行きだと思えてきました。
初めてのロンドンから約3年後。当時の僕にとってはものすごく長い時間が過ぎたように感じたんですが、今思うと3年くらいなんですね。活動休止が決まってソロ活動をすることになったと同時にロンドンに住むことも決めていました。引っ越して、それからスタジオを探して、エンジニアや一緒にやってくれるミュージシャンに声をかけたり、色々と動き回っていましたが、それも1年弱だったんですね。でも、その短い時間が当時は3年にも5年にも感じられた。97年になるとドラムンベースのシーンがものすごくパワフルで、その中心人物だったゴールディーが運営するレーベルのメタルヘッズのミュージシャンたちと仲良くなって、彼らにリミックスをしてもらったりもしました。いつも遊びに行っていたメタルヘッズのパーティーで、気がついたら自分の曲がかかっていたり(笑)。リミックスもしてもらったDJ、Lemon Dが勝手にかけていたんです。ロンドンのアンダーグラウンドなロック、クラブ、ファッション、アートのカルチャーを8年くらいにわたってリアルタイムで吸収できたのは20代の自分にとっては非常に重要なことでしたね。
──ロンドンを訪れると必ず足を運ぶ場所はありますか。
ロンドンに限らず、どんどん自分の中の故郷が増えてしまうんですよね。行く国、行く街、それぞれに思い入れができて、また訪れたいという場所が生まれるんです。先ほどお話ししたケンジントンはそのたくさんあるうちの最初の故郷で、ケンジントンチャーチやその周りを用もなく歩き回るのがロンドンでの過ごし方のひとつになっています。日本ではそんなことをしないんですが、ロンドンでは目的を決めずに歩くんですよね。これからの3時間は散歩しようと決めて、歩いているうちにカフェに入ったり、教会や公園でぼーっとしたりします。日本にいると自分をゆるくできる時間はほぼないんですが、ロンドンは自分がただの人になれる、すごく重要な場所でもあるんです。
St Mary Abbots Church
──ロンドンに滞在されて、日本のこういったところが違う、驚いたということはありましたか?
すごく初歩的な話なんですが、建物が古くて驚きました。築100年の建物なんてそこら中にありますし、僕が住んでいたフラットも築90年くらいでした。一緒にいた仲間が住んでいた物件は築120年くらい。日本のように地震がないというのも大きな理由でしょうが、古き良きものを残そうという文化に対する気持ちがずっと受け継がれていて、生活の中にも溶け込んでいるからだと思うんです。日本だと古き良きものは保存する対象であって、そこで生活するのはなかなか難しい。300年前のヴァイオリンが今も使われてすばらしい音色を奏でるように、イギリスやヨーロッパでは骨董ではなく日用としていることに驚きましたね。あとは食事。イギリスというとまずいとよく言われていましたが、僕はそう思いませんでした。当時も今もそうですが、ちゃんとしたお料理を出すお店に行けばまずい思いをしない。美味しいお店に出会うのには、ちょっと時間はかかりましたけどね(笑)。何も考えずにふらっと入って食べたら、そりゃ美味しくないお店はあります。どこで食べてもそれなりに美味しい日本に比べると、正直コンヴィニエンスではありませんが、自分の足と感覚で探す楽しみもあると思いますよ。イギリスでレコーディングしていて食事となると、日本だと出前を取ってさっと食べることができますが、なかなかそうはいかない。そうなるとレストランまで出かけていって、2時間、3時間と食べることになります。だから、イギリスでのレコーディングは食事を中心に回っていました(笑)。お茶の時間も含めて。日本からやってきたばかりの時はそのゆるいペースに違和感を覚えるんですが、だんだんとそのレコーディング以外の時間が心地よくなってくるんですよね。その過ごした時の流れが自分の中にしっくりと定着したことも、作品に何かしらの影響を与えたと思います。
London 1997
──97年にリリースされた1stソロ・アルバムの『TRUTH?』はドラムンベースの影響が感じられる作品でしたが、ロンドンの街や出会った人、シーンというものが強く作用していたんですね。
まさに。あのアルバムのコンセプトは当時の最先端のシーンと、僕が子どもの頃から影響を受けてきたルーツとの融合でした。でも、思い返してみれば自分の最も大きなルーツはジャパンであり、デヴィッド・ボウイであり、ゴス&パンクであり、やはり英国の音楽なんです。それ以外の国のアーティストで自分にとって大きな存在としてYMO、マイルス・デイヴィス、フランク・ザッパがありました。それらを日本人である僕のフィルターを通してロンドンのシーンとコネクトさせると、どういう音楽が生まれるのかということに興味を抱いていたんです。
──2006年からはジュノ・リアクターのギタリストとして参加するようになり、ブライトンにも訪れるようになったそうですね。
そうなんです。01年くらいまではロンドンにべったりだったんですが、当時小さかった娘がロサンゼルスに移住したことで、時間があって海外に行くとなると娘に会いたくてLAに行くようになりました。なので数年間、英国から遠のいていたんです。その後、ジュノと一緒にやるようになって首領のベン・ワトキンスが拠点とするブライトンに僕も07年からちょくちょく滞在するようになり、ロンドンは泊まる場所ではなくてブライトンから日帰りで訪れる場所になりました。
Brigton 2009
──2000年代に入るとロンドンの音楽シーンも変わっていきました。
90年代に刺激を受けたシーンが違う様相になっていき、歳を重ねてきたせいもありますが、以前のようにノックアウトされるようなアーティストは減っていきました。今のイギリスのユース・カルチャーに触れて、自分が同じように影響を受けるかというとそうはならなくて。カルチャーというものは繰り返されるものであり、すでに知ってしまっているものが多くなってきたのかもしれません。新しい何かが生まれる過渡期なのかもしれませんが。
インタヴュー/小野寺彩乃
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