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『テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート』展完全予習ガイド─ブリットポップ、クール・ブリタニア、サッチャリズムから読み解く
国立新美術館で5月11日(月)まで開催中の『テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート』。ダミアン・ハースト、トレイシー・エミン、スティーヴ・マックイーン……テート美術館がはじめて自ら編んだ90年代英国美術の決定版だ。
しかし「なんだかよくわからなかった」という声も多く聞こえてくる。それはあなたの感性の問題ではない。YBAはサッチャー政権が残した格差と閉塞感、エイズ危機、ブリットポップの熱狂、ブレア政権のクール・ブリタニア戦略─これらすべてがセットになって初めて成立するムーブメントだからだ。
この記事では、展覧会を見る前に知っておきたい90年代英国の社会・音楽・カルチャーの文脈を丸ごと解説する。会場に入る前に「時代の匂い」を先に吸い込んでほしい。それだけで、展示室の景色がまったく変わる。
この展覧会が「わかりにくい」理由
国立新美術館で開催中の『テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート』展。約60名のアーティスト、およそ100点の作品が並ぶ、テート美術館がはじめて自ら編んだ90年代英国美術の決定版だ。
しかし正直に言えば、「なんだかよくわからなかった」という感想を持つ人も少なくないはずだ。
それはあなたの感性の問題ではない。YBAは「様式」や「技法」ではなく、「特定の時代・社会への反応」として生まれたムーブメントだからだ。サッチャー政権が残した格差と閉塞感、エイズ危機、ブリットポップの熱狂、ブレア政権の国家ブランディング戦略、これらすべてがセットになって初めて、作品の意味が立ち上がってくる。
キャプションを読むだけでは届かない「時代の匂い」を、この記事で先に吸い込んでほしい。展覧会場に入る前に読めば、まったく別の景色が見えてくるはずだ。
YBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)とは何か
まず最低限の地図を頭に入れておこう。
ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBA) という呼称が生まれたのは1992年のことだ。美術史家マイケル・コリスが雑誌『アートフォーラム』誌上で使用し、その後チャールズ・サーチのギャラリーで開催された同名の展覧会によって一般に広まった。
重要なのは、YBAとは「こういうタッチで描く」という様式的な統一性を持つ流派ではないこと。絵画・彫刻・写真・映像・インスタレーションと手法はバラバラだ。彼らを束ねていたのは、既存の美術の枠組みを問い直す姿勢と、同じ時代の空気を吸っていたという事実だった。
そしてもうひとつ、見落とされやすい重要な要素がある。YBAは「ギャラリーに選ばれるのを待つ」のではなく、自分たちで展示空間を作り出した最初の世代でもある。この精神がどこから来たのかを理解するために、ゴールドスミス・カレッジという場所を知っておく必要がある。
ゴールドスミス・カレッジとフリーズ展──革命の温床
YBAの起点は、1988年7月にダミアン・ハーストがロンドン東部の倉庫街で企画した「Freeze(フリーズ)展」だ。美術館でもギャラリーでもない廃工場を使った自主企画展──しかしこの「自分たちで場を作る」という発想は、偶然ではなく教育の産物だった。
ハーストが在籍していたロンドン大学ゴールドスミス・カレッジでは、1970年代から美術家マイケル・クレイグ=マーティンが教鞭を執り、当時の英国美術教育では異例の方法論を採用していた。絵画・彫刻・版画という専攻の縦割りを廃止し、学生は媒体を問わずアイデアを最優先に制作することを求められた。「美術館のお墨付きを得てから世に出る」という発想を根底から変えた教育だ。

ダミアン・ハースト《後天的な回避不能》(1991年)、テート美術館蔵
煙草の吸殻と灰皿をガラスケースに密閉した作品。「現代社会において避けることのできない死とは何か」を問う。
Photographed by Prudence Cuming Associates © Damien Hirst and Science Ltd. All rights reserved, DACS/Artimage 2025
本展にも作品が展示されるクレイグ=マーティン自身が、実は「既成概念を疑う姿勢」を体現した作家だ。彼の教え子たちが廃工場に集まり、招待状を自分たちで印刷・配布し、コレクターに直接ダイレクトメールを送ったのは、「制度を変えるより制度の外で動け」という思想の実践だった。
サッチャリズムという土台──怒りと閉塞感がアートを生んだ
YBAを理解する最大の鍵は、マーガレット・サッチャー首相の時代(1979〜1990年)だ。
サッチャーが推進した新自由主義経済政策は、規制緩和・民営化・金融自由化を柱とし、短期間でイギリス経済を「近代化」した。しかしその裏側では、製造業の衰退・炭鉱閉鎖・大量失業・貧富の格差拡大が進み、特に北部の工業地帯や労働者階級の地域社会が壊滅的な打撃を受けた。
1990年には一律同額の税金を徴収する「人頭税」の導入に反発した全国規模の抗議行動が起き、サッチャーはついに首相を辞任。後任のジョン・メージャーが就任したが、社会の分断と閉塞感はそう簡単には消えなかった。
こうした空気の中で思春期を過ごし、美術学校を卒業したのがハースト世代のアーティストたちだ。怒りと皮肉と実験精神──これがYBAの美学的根拠であり、展示室に並ぶ作品の多くの「なぜこんなものが?」という疑問への答えだ。
1991年にサーペンタイン・ギャラリーで開催された『ブロークン・イングリッシュ』展は、この時代の空気を最も鋭く捉えた展示として知られる。本展の第1章タイトルもここから取られており、YBAの出発点を象徴する展覧会だ。
サッチャリズム全盛期の1986年にリリースされた、YBA世代が10代に体で覚えた「反骨」の声。モリッシーの辛辣なアイロニーは、YBAがアートに持ち込んだ批評的ユーモアと直接つながっている。(なおザ・クラッシュの「ロンドン・コーリング」はさらに前の1979年作で、YBA世代の「親の世代の反骨」─これも底流として重要だが、彼ら自身のサッチャー体験はザ・スミス世代と重なる。)
ブリットポップとYBA──音楽とアートが同じ時代に叫んでいた
サッチャー政権が終わり、1990年代に入ると、イギリスの若者文化は次第に別の熱を帯びていく。その震源地のひとつが音楽だ。
1993年、音楽誌『SELECT』の表紙でスウェードのブレット・アンダーソンが「ブリットポップ」という言葉と共に登場する。アメリカのグランジ、オルタナティヴ・ロックに席巻されていたUKロック・シーンが、「いや、俺たちにはザ・ビートルズもザ・キンクスもあるじゃないか」とUKらしさを取り戻そうとする運動でもあった。
そして1995年、この対立は頂点に達する。ブラーとオアシスが同じ週に新曲をリリースし、全英No.1を争う「世紀の対決」 が勃発した。タブロイド紙は連日この対決を報じ、BBCまでがTVニュースで取り上げるほどで、ブリットポップ・ブームは社会現象となった。
ブラー「カントリー・ハウス」vs オアシス「ロール・ウィズ・イット」(1995年8月)。結果はブラーの「カントリー・ハウス」が初登場1位を獲得。オアシスは2位に甘んじた。しかしこの「敗北」がノエル・ギャラガーを奮起させ、同年秋の傑作アルバム『モーニング・グローリー』へと繋がったとも言われている。勝敗よりも、この対決が英国中のティーンのアイデンティティを二分した事実の方が重要だ。
YBAのアーティストたちはこの音楽シーンと非常に近い場所にいた。ジュリアン・オピーは2000年にブラーのベスト盤ジャケットをデザインし、アートとポップミュージックの境界線を完全に溶かした。

ジュリアン・オピー《ゲイリー、ポップスター》1998-99年、テート美術館蔵
架空のポップアイコンをシンプルな線と面で描く。「個性を示す情報の最小単位とは何か」を問う作品。ブラーのジャケットと並べて見ると、この作家の世界観がより鮮明に見えてくる。
©Julian Opie
ヴォルフガング・ティルマンスは雑誌『i-D』や『THE FACE』でロンドンやベルリンのクラブ・シーンを撮影し続けた写真家だ。彼がレンズを向けたのは、ケイト・モスのような「時代の顔」だけではなく、クラブで踊る無名の若者たちだった。

ウォルフガング・ティルマンス《座るケイト》1996年、テート美術館蔵
ケイト・モスを被写体に、雑誌とアートの境界で撮られた一枚。
©Wolfgang Tillmans, courtesy Maureen Paley, London; Galerie Buchholz, Berlin/Cologne; David Zwirner, New York/Hong Kong
クラブカルチャーとレイヴ──もうひとつの地下の物語
ブリットポップと並行して、もうひとつの巨大な文化運動がイギリスの若者を動かしていた。アシッド・ハウスとレイヴ・カルチャーだ。
1980年代後半、シカゴ発のハウス・ミュージックがイギリスに渡り、野外レイヴやアンダーグラウンドのクラブイベントに火をつけた。失業・格差・政治への幻滅─現実から解放される場として、レイヴは数万人規模の若者を集めるようになった。1991年には90年代のダンス・カルチャーを牽引するロンドンのクラブ「ミニストリー・オブ・サウンド」がオープンし 、クラブは単なる娯楽を超えた「共同体」の場となっていった。
しかし政府は1994年、「Criminal Justice and Public Order Act(刑事司法及び公共秩序法)」を制定してレイヴ文化の取り締まりを開始した。繰り返されるビートが100人以上を集めるイベントを事実上違法とするこの法律への怒りもまた、アートの言語に翻訳されていった。
展覧会第3章で展示されるジェレミー・デラーの《世界の歴史》(1997〜2004年)は、炭鉱労働者の連帯を象徴するブラスバンドと、アシッドハウスをフローチャートで結びつける作品だ。労働者階級の伝統文化と若者のダンス文化──一見無関係なふたつを繋ぐことで、デラーはサッチャリズムが「分断した」ものの本質を問う。展示の度に美術館の壁に描き直されるこの作品は、今も生きた思想として機能している。
映画『トレインスポッティング』(1996年)のラストシーンで使われた、90年代UKアンダーグラウンドサウンドの頂点。デラーの作品を頭に入れた上で聴くと、この音楽がいかに「政治的」な音だったかが伝わってくる。

ジェレミー・デラー《世界の歴史》1997-2004年、テート美術館蔵
展示の度に美術館の壁に描かれる、精緻なフローチャートドローイング。炭坑とダンスフロアが線で繋がれる瞬間に、この時代の「分断」の全体像が見えてくる。
Photo: Tate ©Jeremy Deller
クール・ブリタニアとは何か──ブレア政権・ターナー賞・センセーション展
1997年は、イギリス現代史において特別な年だ。
5月、労働党のトニー・ブレアが率いる新政権が、18年ぶりに保守党から政権を奪取した。スローガンは「クール・ブリタニア」──停滞していたイギリスのイメージを刷新し、音楽・ファッション・アートを国家ブランディングの武器にする政策だ。1996年にはすでにスパイス・ガールズが登場し、アレキサンダー・マックイーンとジョン・ガリアーノが相次いでパリのオートクチュール・メゾンのクリエイティブ・ディレクターに抜擢されていた。映画『トレインスポッティング』も世界的なヒットを記録し、英国発カルチャーが一気にグローバルへと波及した時代だ。
クール・ブリタニア時代の大衆文化の象徴。英国らしさ(ユーモア・個性・チャーム)のポップアート版とも言える。展覧会第3章を見る前に「時代の体温」を確認しておきたい1曲。
ターナー賞──YBAを「公式化」した装置
クール・ブリタニアを語る上で、ターナー賞は欠かせない。1984年に創設された英国現代美術の最高賞だが、1990年代に入って受賞者が50歳未満に限定されてからは 、YBAの作家たちが次々とノミネート・受賞するようになった。
1995年の授賞式は、ロンドン滞在中のマドンナがプレゼンターを務めチャンネル4が生中継。アートの授賞式がポップ・カルチャーのイベントとして全国放送される異例の事態となり、ダミアン・ハーストが受賞した。「美術は難しい場所のもの」というイメージをターナー賞が壊していった過程は、YBAのメディア戦略とみごに一致していたと言っていい。
『センセーション』展──スキャンダルをマーケティングに変える
1997年、ロイヤル・アカデミーで開催された『センセーション』展は文字通り社会現象となった。チャールズ・サーチのコレクションから選ばれたYBAの作品群は、メディアの大騒ぎと大衆の熱狂と批評家の論争を同時に巻き起こした。
しかしYBAのスキャンダル戦略の真価が最も明確に示されたのは、同展が1999年にニューヨークのブルックリン美術館へ巡回した時だ。クリス・オフィリによる《聖母マリア》──象の糞をコラージュした作品──に対し、当時のルドルフ・ジュリアーニ市長が「冒涜だ」と激怒し、市からの補助金700万ドル(当時)の打ち切りと美術館の閉鎖を脅迫した。美術館はこれを合衆国憲法修正第1条(表現の自由)の侵害として提訴し、裁判所は美術館側の勝訴を認めた。この騒動によってオフィリとYBAの名は世界中に知れ渡った。怒りを呼ぶことが宣伝になる。そのサイクルを意図的に設計したのがYBAというムーブメントの本質だった。
しかしこの1997年は、喜びだけの年ではなかった。8月にはウェールズ公妃ダイアナが交通事故で死去し、国民が深い悲しみに包まれた。また香港の中国返還もこの年で、大英帝国の「終わり」を象徴するような出来事が重なった。そしてレディオヘッドが名盤『OKコンピューター』をリリースしたのも1997年だ。
ブリットポップとは一線を画しながらも、同時代の英国から生まれた。クール・ブリタニアの「明るい表面」の裏に流れる不安と複雑さを体感できる1曲。ハーストのサメとこの曲は、同じ1997年の英国という時代が生んだ、光と影の双子だ。
エイズ危機とアート──タブーに向き合う視線
もうひとつ、YBAの作品を理解する上で絶対に外せないのが、エイズ危機だ。
1980年代後半から90年代にかけて、HIVの感染拡大とエイズによる死者の増加は深刻な社会問題となっていた。1991年、クイーンのフレディ・マーキュリーがエイズによる合併症で45歳で死去し、社会に暗い影を落とした。当時のイギリス社会では、エイズは「ゲイの病気」というスティグマと結びついており、偏見と差別が横行していた。
この状況に対して、多くのアーティストが作品を通じて声を上げた。デレク・ジャーマンは映画監督であり同性愛者の権利獲得を目指すアクティヴィストでもあった。スレード美術学校で絵画を学んだジャーマンは、1990〜92年にかけてメディアにおける同性愛とエイズの表現を考察した44点の絵画シリーズ〈クィア〉を完成させた。

デレク・ジャーマン《運動失調―エイズは楽しい》1993年、テート美術館蔵
HIV感染による神経障害が顕著になった頃に描かれた鮮やかな抽象絵画。よく見ると、作品タイトルと同じ文言が画面に刻まれている。ユーモアの皮をかぶせた、静かな怒りの記録だ。
Photo: Tate ©The estate of Derek Jarman. Courtesy of The Keith Collins Will Trust
ギルバート&ジョージは1960年代から活動していたアーティストで、ハースト世代にとって先達的な存在だった。1980年代後半〜90年代にかけてのエイズ危機に直面した彼らは、自らの身体を露わにすることで、性をめぐる政治的状況に向き合い続けた。
1994年にはゲイ雑誌『アティチュード』が創刊され、英国国教会が初めて女性の司祭の就任を認めた。社会が少しずつ変わっていく過渡期の、痛みと希望が交差する時代──それが展覧会第4章「現代医学」のコンテキストだ。
都市の政治──ジェントリフィケーションとロンドンの分断
第2章「おおぐま座:都市のイメージをつなぐ」が扱うのは、ロンドンという都市の空間政治だ。
1990年代初頭のロンドンは、未完成の建築物とジェントリフィケーション(地価上昇による住民追い出し)が混在した都市だった。サッチャー政権の住宅政策によって持ち家率を上げる一方、低所得者層は公営住宅から追い出され、行き場を失った。
レイチェル・ホワイトリードはこの住宅政策に強い関心を持ち、ロンドン東部で取り壊される高層集合住宅を記録し続けた。1993年には取り壊し予定の家屋全体をコンクリートで型取りした作品《ハウス》を発表し、女性として初めてターナー賞を受賞。「消えていく場所の記憶を固定する」この行為は、30年以上経った今も普遍的な意味を持ち続けている。

レイチェル・ホワイトリード《A:クラプトン・パーク・エステート、マンデヴィル通り、ロンドン E5;アンバーゲート・コート;ノーバリー・コート、1993年10月》1996年、テート美術館蔵
Photo: Tate ©Rachel Whiteread
ジリアン・ウェアリングはロンドン南部のショッピングセンターで自分が踊る姿をカメラに収めた映像作品《ダンシング・イン・ペッカム》を発表。公共空間でダンスに没頭する自分と、困惑したり無関心だったりする通行人の姿を対比させることで、都市空間における「個」と「公」の境界線を問いかけた。「ペッカム」というロンドン南部の労働者階級の地名が持つ文脈──治安が悪く「ダサい」とされていた地区──を知ることで、この作品の政治性がより鮮明になる。

ジリアン・ウェアリング《ダンシング・イン・ペッカム》1994年
©Gillian Wearing, courtesy Maureen Paley, London; Regen Projects, Los Angeles and Tanya Bonakdar, New York
家と身体の政治──フェミニズムとジェンダーの問い
第5章「家という個人的空間」は、より内側に踏み込んだ政治を扱っている。
サラ・ルーカスの《煙草のおっぱい(理想化された喫煙者の椅子Ⅱ)》は、煙草を集めて作った球体に黒いブラジャーを着せた作品だ。作品タイトルの“tits”は当時のタブロイド紙に頻繁に登場したスラングであり、性の消費とステレオタイプへの痛烈な皮肉が込められている。「タブロイド文化」というイギリス特有の大衆文化の文脈──『The Sun』紙の3面に象徴される女性の性的消費──を知っているかどうかで、作品の刺さり方がまるで変わってくる。

サラ・ルーカス《煙草のおっぱい(理想化された喫煙者の椅子Ⅱ)》1999年、テート美術館蔵
「下品」に見えるその表面こそが、イギリスのタブロイド文化への鋭い批評だ。
©Sarah Lucas. Courtesy Sadie Coles HQ, London
グレイソン・ペリーは陶製の花瓶の表面に装飾を施した《私の神々》で、児童虐待など現代イギリス社会の陰惨なドラマを扱った。「美しい器」に「見たくない現実」を封じ込めるという構造は、英国特有の「表面は礼儀正しく、内側は複雑に荒廃している」という文化的文脈を知ると、より深く響く。

グレイソン・ペリー 《私の神々》、1994年、テート美術館蔵
©Grayson Perry
スポットライトコーナーでは、トレイシー・エミンの《なぜ私はダンサーにならなかったのか》(1995年)が単独で展示される。育った海辺の古びたリゾート地マーゲイトの記憶と、10代に受けた屈辱への「勝利」を描いたビデオ作品だ。彼女の作品に一貫する「告白」という手法は、フェミニズムの課題と深く共鳴している。それまで「語る手段を持てなかった女性たちの経験」を作品が代弁するという意味において。

トレイシー・エミン《なぜ私はダンサーにならなかったのか》1995年、テート美術館蔵
映像の後半、エミンがディスコソングに合わせて踊り出すシーンは、過去の痛みへの応答として強烈に機能する。
© Tracey Emin
「BEYOND」とは何か──YBAが語らなかった声
ここで、展覧会タイトルにある「& BEYOND」の意味を理解することが重要だ。
YBAとは、1990年代の英国現代美術の全体像ではない。その言葉が指すのは主に、ゴールドスミス卒業生を中心とした白人・ロンドン出身の若者たちのグループだった。同時代に重要な作品を発表しながら、この「YBA」という括りから排除されていたアーティストたちがいた。とりわけカリブ海、南アジア、アフリカにルーツを持つブラック・ブリティッシュ・アーティストたちだ。
本展はその「語られなかった声」を意図的に回収している。これが「BEYOND」の意味だ。
ルベイナ・ヒミドは1980年代から黒人女性のアイデンティティと移民の経験を主題に作品を発表し続けてきた。しかし彼女がターナー賞を受賞したのは、なんと2017年。62歳のときだ。本展に展示される《二人の間で私の心はバランスをとる》(1991年)は、まさにYBAが最も注目されていた時期の作品だが、彼女の名が「YBA」と並べて語られることはほとんどなかった。

ルベイナ・ヒミド《二人の間で私の心はバランスをとる》1991年、テート美術館蔵 Photo: Tate © Lubaina Himid. Courtesy Hollybush Gardens and Greene Naftali
ブラック・オーディオ・フィルム・コレクティヴ(スポットライト作品《ハンズワースの歌》1986年)は、1985年にバーミンガムで起きた黒人コミュニティへの不当な扱いに抵抗した暴動をきっかけに制作された映像詩だ。同じ英国で、同じ時代に起きていたことが、「YBA」という名の下では見えにくくなっていた。

ブラック・オーディオ・フィルム・コレクティヴ《ハンズワースの歌》1986年、テート美術館蔵
©Smoking Dogs Films; Courtesy Smoking Dogs Films and Lisson Gallery
スティーヴ・マックイーン─後に映画『それでも夜は明ける』でアカデミー賞作品賞を受賞する映画監督─もまた、スポットライト作品《熊》(1993年)で示すように、「黒人男性の身体と視線」という主題においてYBAの枠組みの外に置かれがちだった。

©Steve McQueen. Courtesy the artist and of Thomas Dane Gallery, London
本展が「YBA & BEYOND」であることは、懐かしい90年代カルチャーの回顧である以上に、英国美術史の偏りを問い直す試みでもある。その視点を持って会場に入ると、展示全体の構造がまったく異なって見えてくる。
展覧会6章の「読み方ガイド」──会場に入る前の最終チェック
以上の予備知識を頭に入れたうえで、本展の6章構成を確認しておこう。
| 章 | テーマ | 予習ポイント |
|---|---|---|
| 序章 | フランシス・ベーコンからブリットポップへ | 戦後英国美術の文脈 |
| 第1章 | ブロークン・イングリッシュ | サッチャリズムの帰結 |
| 第2章 | 都市のイメージをつなぐ | ジェントリフィケーション問題 |
| 第3章 | 音楽・サブカルチャー・ファッション | ブリットポップ・クラブカルチャー |
| 第4章 | 現代医学 | エイズ危機・ゲイ権利運動 |
| 第5章 | 家という個人的空間 | フェミニズム・ジェンダー規範 |
| 第6章 | 日常物からの創造 | コンセプチュアルアートの転換 |
各章には「スポットライト」として独立した解説空間が設けられており、ブラック・オーディオ・フィルム・コレクティヴ、トレイシー・エミン、スティーヴ・マックイーン、コーネリア・パーカー、マーク・ウォリンジャーの5作家がフィーチャーされている。

コーネリア・パーカー《コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ》1991年、テート美術館蔵
イギリス陸軍に依頼して物置小屋を爆破し、その残骸を暗室の天井に吊るした彫刻。破壊と創造を同時に達成する。展覧会で最も視覚的インパクトの強い作品のひとつ。
Photo: Tate ©Cornelia Parker. Courtesy Frith Street Gallery
日本とYBAの意外なつながり
「なぜ今、東京でこの展覧会か」についても触れておきたい。
本展キュレーターのグレゴール・ミューアはこう述べている
「1990年代において英国のアートシーンと深いつながりを持っていた日本でこの展覧会を開催できることを大変うれしく思います。多くのアーティストが日本で作品を発表したり、日本から創作のインスピレーションを得たりするなど、両国の間に数多くのつながりがある」

グレゴール・ミューア
その具体的な接点はいくつか挙げられる。ヴォルフガング・ティルマンスは日本の視覚文化、特に写真と印刷物の美学に強く影響を受けたことを複数のインタビューで語っており、東京での展示経験も持つ。ジュリアン・オピーのシンプルな輪郭線と平面性は、日本のグラフィックデザインやマンガ表現との親和性を多くの批評家が指摘してきた。1990年代の東京のアート・ファッション・音楽シーンは、ロンドンと同様に「クラブ・ストリート・コンテンポラリーアート」が交差する場所であり、英国のカルチャーメディア(『i-D』『Dazed & Confused』)は日本でも熱心に読まれていた。
YBAは「遠いイギリスの出来事」ではなく、当時の東京のシーンとも確実に共振していた。その交差点を自分自身の記憶と重ねながら作品を見ると、また別の角度が開けてくる。
今、『テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート』を見る意味
最後に、あえて問いを投げかけておきたい。
サッチャリズムが生んだ格差、エイズ禍における差別と連帯、多様なアイデンティティをめぐる権力の問題、都市空間からの排除──これらは「90年代イギリスの話」だろうか。
ポスト・ブレグジットの英国では階級と地域の分断が再び深刻化し、気候変動・ジェンダー・人種をめぐる議論が社会を揺るがし、アートのジェントリフィケーション(ギャラリー地区の高級化によるアーティストの排除)が進んでいる。本展のキュレーターがわざわざ「変化の著しい現代においてもなお、この時代の芸術は重要な意味を持ち続けています」と記したのは、単なる外交辞令ではない。
怒りを皮肉に変え、日常を政治に変え、スキャンダルを対話に変えた90年代英国アーティストたちの身振りは、今の私たちにも十分に使える道具だ。展示室で「これは何だ?」と感じた瞬間こそ、その道具に触れた証拠だと思ってほしい。
開催情報とアクセス詳細
『テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート』は、東京と京都の2会場で開催されます。各会場の詳細情報とアクセス方法をご紹介します。
東京展の詳細情報
東京展は国立新美術館で約3か月間開催され、建国記念の日からゴールデンウィークを含む期間中に多くの来場者が見込まれています。
- 会期
- 2026年2月11日(水・祝)〜2026年5月11日(月)
- 開館時間
- 10時~18時 ※会期中の毎週金・土曜日は20時まで
- 休館日
- 毎週火曜日 ※5月5日(火・祝)は開館
- 会場
- 国立新美術館 企画展示室2E(東京都港区六本木7-22-2)
- 主催
- 国立新美術館、テート美術館、ソニー・ミュージックエンタテインメント、朝日新聞社
京都展の巡回情報
東京展終了後は京都へ巡回します。
- 会期
- 2026年6月3日(水)~2026年9月6日(日)
- 開館時間
- 10時~18時
- 休館日
- 月曜日 ※月曜日が祝・休日の場合は開館
- 会場
- 京都市京セラ美術館(京都府京都市左京区岡崎円勝寺町124)
- 主催
- テート美術館、ソニー・ミュージックエンタテインメント、ABCテレビ、キョードーエンタテインメント、京都新聞、FM802/FM COCOLO、京都市
『テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート』の招待券を2組4名様にプレゼント
British Culture in Japanでは5月11日(月)まで開催されている『テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート』の招待券を2組4名様にプレゼントします。
応募方法は以下の通りとなります。
1. British Culture in JapanのXアカウントをフォロー⇒ https://x.com/britculturejp
2. 以下の文言をコピペしてご自身のTwitterアカウントでツイート。
国立新美術館で5月11日(月)まで開催されている『テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート』の招待券プレゼントに応募しました https://bcij.jp/ctg/art/32661.html #YBA_bcij
以上で応募完了です。締め切りは3月22日(日)23時59分。当選者の方にはDMでお知らせいたします。
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