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映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』Special Interview Vol.2 前編 ピーター・バラカン
「脚本の素晴らしさに痺れましたよ。本当にすごい」
名優ジム・ブロードベント×ヘレン・ミレン共演の映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』が、いよいよ今週末2月25日(金)より全国公開を迎えます。映画の時代設定は1961年。その当時、10歳だったピーター・バラカンさんに映画の見どころや魅力、そして子どもの頃についてお話を聞きました。当時のイギリスの生活や社会を知ることで、映画が描こうとする背景についてより深く知ることができるはずです。
──映画をご覧になられての率直なご感想から聞かせてください。
どの映画もそうなんですが、1回目はストーリーを追うことに集中します。2回目に観るときはストーリーが大体わかっているからディティールに目が行くんですよね。こんなものが写っていたんだとか。この映画も2度観ましたが、脚本の素晴らしさに痺れましたよ。本当にすごい。当時のイギリスの社会を理解するためにも注釈を付けて、脚本を本として出版すればおもしろいんじゃないかな。
ニューカスルの小さな街で生活する労働者階級の当時の価値観などが劇中の会話の端々に出てきているんですよ。どの映画もですが、字幕の限られた文字数では会話のニュアンスが出しきれない。特にこの映画はセリフが多くて、会話のテンポもいいし、ジム・ブロードベント演じるケンプトン・バントンと、ヘレン・ミレンのドロシーの夫婦や、息子とのやり取りがとてもウィットに富んでいて極めてイギリスらしい。
映画の舞台となる時代が僕の子供の時代と重なるんですが、久しぶりに1961年、今から約60年前を再現した映像を目にしたら現在とはつながっていないことを認識したんですよね。
──大昔に感じられたのでしょうか。
自分も去年で70歳になったから、昔であることは当たり前なんですが(笑)、でもそんなに昔とは思ってなかったんです。現在のイギリスはシックスティーズ、1960年代から始まったと僕は常々思っているんですが、61年というのはまだシックスティーズじゃない。この映画を見て改めてそう思いました。
ザ・ビートルズが「ラヴ・ミー・ドゥ」でデビューしたのは62年の10月。全英1位になった2枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」が63年1月で、シックスティーズのイメージはビートルズの登場によって形付けられていくんです。
ビートルズをはじめとするポピュラー音楽の爆発的な人気に加えて、ファッションもそうですし、19年に日本で公開された映画『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』に集約されるような、いわゆるスウィンギング・ロンドンと呼ばれる60年代はザ・ビートルズと共に始まったというのは僕の持論なんですが、61年はまだそんな雰囲気はなかった。
──ロンドンでは新たな時代に向けて変わり始めていたかもしれませんが、イングランド北部でスコットランドの方が近いニューカスルではまだまだ先のことだったのでしょうね。
ビートルズがデビューする前は、イングランド北部というのはまず話題にのぼることがありませんでした。メディアはロンドンに集中していましたし、誰も地方のことなんか関心なかったと思います。貧しいし、天気も悪い。雨が降ることが多いし、雨が降ってなくてもどんよりしているし、風が冷たくて寒い。地方出身の人たちが何かで成功したいと思ったら、みんなロンドンに出ていくという時代でした。僕がロンドンで生まれ育った人間だからそう思うのかもしれませんが、やっぱりロンドンにいないと何も始まらないという時代だったと思うんですよ。昭和30年代の日本も似たような状況だったはずです。
でも、そんな価値観がリヴァプール出身のビートルズによって変わった。リヴァプールだけじゃなくてマンチェスター、ニューカスルと言えばアニマルズというように地方出身、特に北の方のバンドとか、あとスコットランドだとかアイルランドだとか、そういったロンドン以外のミュージシャンが63年以降どんどん出てきました。そうして、少しずつかもしれないけれど地方に対する見方が変わっていったんですよね。
──61年からビートルズはリヴァプールのキャバーン・クラブで演奏を始めますが、当然まだ知られた存在ではありませんでした。『ゴヤの名画と優しい泥棒』で流れる音楽も、いわゆるブリティッシュ・ポップとは違ったレトロな感じです。
そう、誰もが聴いたことのあるような曲は流れてきませんが、印象に残った曲がふたつありました。ひとつはケンプトンがタクシーを洗車している時に流れるアダム・フェイスの「ウォット・ドゥー・ユー・ウォント?」です。61年の大ヒットで僕もよく覚えています。ビートルズ登場以前のイギリスのポップ・ミュージックの象徴的な曲ですね。コックニー訛りを売りにしたようなノヴェルティっぽい感じです。
もうひとつはアカー・ビルクの「ストレインジャー・オン・ザ・ショア」。クラリネットのインストゥルメンタルでスロー・テンポの曲ですね。これは超大ヒット曲で、イギリスのチャートでは2位、アメリカでは1位となりました。50年代の半ばから後半にかけてイギリスで人気があった、いわゆるトラッド・ジャズというディクシーランド・スタイルのジャズで、そのジャンルで有名なクラリネット奏者です。ミスター・アカー・ビルクと名乗っていて、いつも山高帽をかぶっていました。
でも、この曲は彼の代表的な感じではなくて、むしろ型破りの曲です。いつもは普通のディクシーランド・スタイルのジャズをやっている人なんですけど、「ストレインジャー・オン・ザ・ショア」はきれいなメロディの、今の時代で言えばケニー・Gみたいな曲ですよね。
──61年当時、バラカンさんは10歳でロンドンにお住まいでしたが、すでに音楽への興味を持ち始めていたんですね。
10歳の頃、ちょうど踊りのツイストが流行り出したんです。チャビー・チェカーの「レッツ・ツイスト・アゲイン」とかがラジオから流れてきていましたね。母がわりと新しいもの好きで、彼女が買ったのか、僕が買ったのか、うろ覚えですが、ツイストのレコードを家でかけながら、風呂上がりにバス・タオルで腰を拭くような動きで踊っていました(笑)。そんな光景を今思い出しましたね。
9歳までロンドンの中心部から電車で40分くらいの郊外に住んでいたんですが、もうちょっと近い電車20分ぐらいのところに引っ越したんです。新しい家になってレコード・プレイヤーを親が買ったんです。その時から僕もレコードを少しシングル盤ぐらい買うようになった。ですので、音楽は好きになり始めていましたね。
──音楽以外には何に興味を持っていましたか。
テレビは好きで観ていました。主人公のケンプトンが観ていた『ロビン・フッドの冒険』はすごい人気番組で、僕も毎週観ていましたね。当時のイギリスの番組は西部劇など、アメリカ製作の番組が多かったんですが、これは珍しくイギリス製作でした。
我が家は特に貧しかったっていうわけじゃないけれど中の下くらいの家で、5歳くらいの頃にテレビが家に来るまでは、テレビを持っていた2軒か3軒隣にわざわざ見に行っていました。
第二次世界大戦後も裕福だったアメリカとは違って、イギリスは同じ戦勝国でありながらも、ナチス・ドイツの空襲やV2ミサイルなどの被害もあって貧しい時期が続いていたんです。爆弾が落ちたあとのめちゃくちゃになったところをボムサイトと言うんですが、子供たちがボムサイトで遊んでいる白黒の映像がYouTubeでも見られます。そういう時代が40年代の終わりぐらいまで続くので、戦争が終わって約15年経った61年もまだまだ質素でした。
──映画では受信料を払わないでBBCを視聴している家庭を探す水色のバンが走っていましたが、バラカンさんも見かけたことがありましたか。
はい、僕が子供の頃も走っていました。独特のアンテナが立っていて、テレビ放送を受信している信号を車で探知するわけです。BBCの公共放送を見るための受信料を支払っていない家庭から信号が出ていると、その家を訪問して払ってくださいと詰め寄るわけです、映画のように。罰金を取られる人は毎日のようにいましたよ。払っていない人が多かったですからね。ケンプトンがBBCの放送を受信できなくしたのには恐れ入りました(笑)。
──バントン家にはテレビはありましたが、冷蔵庫は見かけませんでしたね。
ぼくもそこに気付いていました。ドロシーが買ってきた野菜を網戸が扉になった小さな戸棚にしまうんですよね。うちに冷蔵庫がなかった時代を思い出しました。60年代の初頭ぐらいまで多くの家庭に冷蔵庫がなくて、うちは63年にも引っ越したんですが、その時に初めて冷蔵庫を買ったんです。
高さもそんなになくて、冷凍室も上の方に製氷トレイが入るくらいの狭さの小さな冷蔵庫です。冷凍食品が普及し始めた頃で、フィッシュ・フィンガーズという一口サイズにカットされた白身の魚に衣が着いているフライが、人気がありましたね。コンロの下にあるグリルに入れてね、ちょっと焦げ目がつくくらい5分ほど温めれば食べられる。とても簡素なものでしたけど、手軽に料理できると重宝されるようになっていきました。
あと、先日リヴァイヴァル上映されたケン・ローチ監督の『夜空に星のあるように』(原題 : Poor Cow)でも、同じような記憶がよみがえってきました。この映画の舞台は67年ですが、そのときもそうだったのかと思い出したシーンがあったんです。バケツをコンロの上に乗せて、その沸騰したお湯の中に衣服を入れて木べらでかき回しながら洗濯しているシーンなんですが、僕の子供の頃も母親がハンカチをそのように洗濯していたなという記憶が蘇ってきました。イギリスではティッシュ以前の時代に、ハンカチは手を拭くんじゃなくて鼻をかむために使っていたんですね。だから、鼻水がいっぱいつくわけですよ。そうなると洗濯は結構大変だから、洗剤を入れたほうろうのバケツでお湯を沸騰させて、煮沸しながら洗っていました。オムツなんかも多分同じように洗っていたんじゃないかな。
──ケンプトンがロンドンを訪れたシーンで、ナショナル・ギャラリー前のトラファルガー・スクエアに緑色のバスが走っていたのも気になりました。
緑色のバスは郊外行きのものなんです。ロンドン中心地から離れると、緑色のバスが多かったんですよ。あとタクシーも、よく当時のものを見つけたなと思いました。でもね、あのトラファルガー・スクエアのシーンで、もうちょっと後の、61年にはなかったタクシーを見つけちゃいました(笑)。これも2回目に観て気付いたことですね。しかし、車や家庭にあるものなど、時代考証を丁寧に確認しながら製作したんだな、と感心しましたよ。
(後編に続く)
ピーター・バラカン
1951年ロンドン生まれ。ロンドン大学日本語学科を卒業後、1974年に音楽出版社の著作権業務に就くため来日。現在フリーのブロードキャスターとして活動、「バラカン・ビート」(インターFM)、「ウィークエンド・サンシャイン」(NHK-FM)、「ライフスタイル・ミュージアム」(東京FM)、「Going Back – 音楽と世界」(らふくしまFM)、「ジャパノロジー・プラス」(NHK BS1)などを担当。
著書に『ピーター・バラカン式英語発音ルール』(駒草出版)、『Taking Stock どうしても手放せない21世紀の愛聴盤』(駒草出版)、『ロックの英詞を読む〜世界を変える歌』(集英社インターナショナル)、『わが青春のサウンドトラック』(光文社文庫)、『ピーター・バラカン音楽日記』(集英社インターナショナル)、『魂(ソウル)のゆくえ』(アルテスパブリッシング)、『ラジオのこちら側』(岩波新書、電子書籍だけ)、『ぼくが愛するロック 名盤240』(講談社+α文庫、電子書籍だけ)などがある。
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ゴヤの名画と優しい泥棒
- 監督
- ロジャー・ミッシェル
- 出演
- ジム・ブロードベント、ヘレン・ミレン、フィオン・ホワイトヘッド、アンナ・マックスウェル・マーティン、マシュー・グードほか
- 作品情報
- 2020年 / イギリス映画 / 英語 / 原題 : THE DUKE
- 公開日
- 2月25日(金)よりTOHO シネマズ シャンテほか全国公開
- 配給
- ハピネットファントム・スタジオ
- 後援
- ブリティッシュ・カウンシル
©PATHE PRODUCTIONS LIMITED 2020
Link
https://happinet-phantom.com/goya-movie/
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