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映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』Special Interview Vol.2 後編 ピーター・バラカン
「あの時代のイギリスがどういう社会だったかということが、とてもよくわかる映画です」
いよいよ明日2月25日(金)より全国公開される、名優ジム・ブロードベント×ヘレン・ミレン共演の映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』。映画の時代設定は1961年。その当時、10歳だったピーター・バラカンさんに映画の見どころや魅力、そして子どもの頃についてお話を聞いた後編をお届けします。当時のイギリスの生活や社会を知ることで、映画が描こうとする背景についてより深く知ることができるはずです。
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──ヘレン・ミレン演じるドロシーは一家の家計を支えるために議員の家で家政婦として働いています。一方、ジム・ブロードベント演じる夫のケンプトンは仕事に身が入らず、執筆活動をしたり、社会運動をしたりと、映画では労働者階級の家庭がありのままに描かれていますね。
ケンプトンは60歳の設定だそうですけど、妙にチェーホフに詳しかったりとか、さりげなく何かフランス語で話したりとか、彼は外国語を巧みに話せないはずですが、でも何となくは知っているんですよね。労働者階級だから手厚い教育を受けたわけではないはずですが、劇作家を目指すくらいだから色々な戯曲を読んでいたんでしょうね。シェイクスピアよりチェーホフの方が好きだとか、当時のイギリスの労働者階級からすると、とても珍しい存在で、おもしろい人物ですね。
この階級の感覚が映画でもみごとに描かれています。主人公たちは労働者階級ですけど、ちょっとワルな息子・ケニーの彼女、パメラはもうちょっとミドル・クラスに近い感じがしました。しかも、彼女は北部の人じゃありませんね。彼女は夕食のことを「ディナー」と言いますが、ケンプトンは「北部ではティーという」というところからわかります。彼女のセリフになんかちょっと見下しているようなニュアンスもあったりしますしね。
あと、セリフで「hung」と「hanged」というのが出てきます。絞首刑のことをケンプトンは最初「hung」と言うんですね。そうしたら、パメラが「hanged」と言い直すんです。ちょっと気まずい雰囲気が流れますが、そこも彼女の教育レベルが少し高いことを示すシーンになっていますね。吊るすという意味の過去分詞は「hung」でいいんです。ただ、絞首刑に関して言えば、「hanged」にしないといけない。知らなかったケンプトンは指摘された後は、きちんと「hanged」と口にしていましたね。気づかない点かもしれませんが、こうしたディティールがちゃんと描かれていて、脚本が良くできているなと感じた点でもありました。
──ゴヤの絵を盗んだ犯人をプロファイリングする女性が、北部の人間でカンマが特徴的、教育の程度が低いと指摘していましたね。
おもしろい指摘でしたね。当時の教育レベルの低い人は文法があやふやで、コンマが入るべきじゃないところに入ったり、あるいは入るべきところに入らなかったりすることがよく見受けられました。コンマだけじゃなく、文法自体もおかしいことが多かったですけどね。僕は中学の時、英語つまり国語の授業でこれでもかっていうぐらいに文法の基礎ルールを叩き込まれたので、文法の誤りにすごく敏感なんです。ですから、今の新聞を読んでいると、たまに違和感をおぼえるときがある。かつては使わなかったような、使ってはいけないような文法が時の流れによってあやふやになって、新聞であたかもそれが正しいように使われていることがありますので。
──ケンプトンがドロシーと仲直りしようと、お茶を飲まないかと誘うシーンがあります。紅茶とビスケットがセットになっているのはとてもイギリスらしさが出ていると感じました。
イギリスの文化から紅茶とビスケットをなくせば、みんなどうしていいかわからくなってしまうと思います(笑)。「Put the kettle on」という言い方が、セリフにも出てきますね。これ以上イギリスらしい表現はありません。やかんを着るみたいに聞こえますが、やかんをコンロに乗せる、要するにお茶を飲むという表現です。日本に住んでいるから久しく聞かなかった表現でしたから、たまらなく懐かしかったですよ。
あと、「ア・ナイス・カップ・オヴ・ティー」という歌がケンプトンとドロシーがおどけて踊るシーンで使われていました。彼らが若かった頃くらいの古い歌で、グレイシー・フィールズが歌ったことで知られています。
何かあったらお茶を飲む、お茶を飲めばどんな悩みも解消されるというような、イギリス人にはわりとそういう文化がありますね。何かあると「Put the kettle on」というような。ケンプトンが食べているのはジンジャー・ビスケットでしょうね。紅茶に浸すダンキングをしているから。ジンジャー・ビスケットは硬いから紅茶に浸けても崩れない。ダンキングに最適です。
──10歳もバラカンさんも紅茶を飲む習慣がありましたか。
ありました、ありました。子どもの頃は牛乳を多めに入れたり、砂糖を入れたりしていましたが、子どももみんな飲んでいますよ。僕らの子どもの時代は、まだまだティー・バッグは普及していなくて、茶葉を使って飲んでいました。茶葉と言っても、タイフーやPGティップスとか粉に近い茶葉でしたけどね。人数×ティー・スプーン一杯だけど、「One for the pot」と言って、ティーポットのためにもうスプーン一杯の茶葉を入れるんです。人数分プラス一杯を入れて、沸騰したばかりの熱湯を注いでかき回してから2、3分すればできあがり。冷めないようにティー・コージーも着せていました。ティー・バッグが登場してからは、ティーポットで飲むお茶は庶民っぽさがなくなって、ちょっと高級な感じになってしまいましたね。
──飲み物と言えば、ケニーが家にビールを買ってきて飲むシーンがありましたが、瓶をラッパ飲みしているところも労働者階級っぽい描かれ方でしたね。
まさしく。飲んでいるのは、ニューカスルの近くだから、きっとニューカスル・ブラウンエールでしょう。美味しいビールですよ。日本でもスーパーでときどき見かけたりします。
あと、みんなで外食に出かけるシーンがありますが、あの頃はちょっと特別なものでした。あの時代は、庶民がレストランで食べるなんてめったになかった。僕もちゃんとしたレストランでご飯食べたのは高校生ぐらいじゃなかったかな。
彼らが食事をしていたのはレストランではなく、パブのサルーン・バーと呼ばれるところですね。パブはだいたい2つに分かれていて、パブリック・バーは絨毯はなくて板張りで、立って飲みます。でも、サルーン・バーは大した絨毯じゃなかったと思いますが、いちおうカーペットがあって、テーブルと椅子でちょっとした食事とお酒を楽しめます。ですので、若干値段も高めです。どちらもその場で現金払いですが。中流階級もしくは女性がいれば、サルーン・バーを選ぶということが多かったと思います。
──会話だけでなく背景も含めて、バラカンさんのお話を聞いていて映画の世界がすごく深まりました。
2回目で気付いたことが多かったので、イギリスという国や文化に興味を持たれている方はぜひ2度観ることをおすすめします。あの時代のイギリスがどういう社会だったかということが、とてもよくわかる映画です。よく見れば見るほど、汲み取れるところが本当にいっぱいある。
ニューカスル訛りで聴き取りづらいし、夫婦のやり取りも結構早口で、とても字幕では全部表現しきれませんが、2回目を観て気づくことも多いはずですよ。北部のアクセントも違和感ありませんでしたし、会話のテンポも絶妙で、さすが名優。プロの俳優だから当然かもしれませんが、説得力ありましたね。
──最終的にケンプトンが訴えた高齢者の受信料無料は、約40年後の2000年に 75歳以上という条件で実現します。
ケンプトンが、テレビというのは高齢者を孤独から解放するものだと言いますよね。あの時代に、その発言はすごいと思いました。高齢者や障害者の受信料を無料にする彼の運動は、すごく先見の明があったと思います。当時は保守党政権だから、そんなものはソーシャリズムだと片付けられましたが、特に生活の苦しい北部の労働者階級の家庭では、わずかなお金だけど、それすら払えないという人たちがたくさんいたはずです。イギリスは福祉国家だと言われますし、今も医療費は全員無料ですが、見えていないところでちょっと落とし穴というか、こんなことがあったんだと映画を観て改めて思いました。
ピーター・バラカン
1951年ロンドン生まれ。ロンドン大学日本語学科を卒業後、1974年に音楽出版社の著作権業務に就くため来日。現在フリーのブロードキャスターとして活動、「バラカン・ビート」(インターFM)、「ウィークエンド・サンシャイン」(NHK-FM)、「ライフスタイル・ミュージアム」(東京FM)、「Going Back – 音楽と世界」(らふくしまFM)、「ジャパノロジー・プラス」(NHK BS1)などを担当。
著書に『ピーター・バラカン式英語発音ルール』(駒草出版)、『Taking Stock どうしても手放せない21世紀の愛聴盤』(駒草出版)、『ロックの英詞を読む〜世界を変える歌』(集英社インターナショナル)、『わが青春のサウンドトラック』(光文社文庫)、『ピーター・バラカン音楽日記』(集英社インターナショナル)、『魂(ソウル)のゆくえ』(アルテスパブリッシング)、『ラジオのこちら側』(岩波新書、電子書籍だけ)、『ぼくが愛するロック 名盤240』(講談社+α文庫、電子書籍だけ)などがある。
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ゴヤの名画と優しい泥棒
- 監督
- ロジャー・ミッシェル
- 出演
- ジム・ブロードベント、ヘレン・ミレン、フィオン・ホワイトヘッド、アンナ・マックスウェル・マーティン、マシュー・グードほか
- 作品情報
- 2020年 / イギリス映画 / 英語 / 原題 : THE DUKE
- 公開日
- 2月25日(金)よりTOHO シネマズ シャンテほか全国公開
- 配給
- ハピネットファントム・スタジオ
- 後援
- ブリティッシュ・カウンシル
©PATHE PRODUCTIONS LIMITED 2020
Link
https://happinet-phantom.com/goya-movie/
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